皆様、こんにちは

 

アラン・コーエン認定

ホリスティックライフコーチの

桜水現実(オースイうつつ)です

 

もう既にフェイスブックなどでは

ご紹介させて頂きましたが

 

ナチュラルスピリット社の

「スターピープル」誌(オンライン)に

アランさんのスピリチュアルエッセイが

掲載されています

 

今回のテーマは「罪悪感」です

 

エクササイズも書かれていて

すごくわかりやすいなと思いました

 

是非、お読みになってみて下さい☆

 

「罪悪感から抜け出すための7つの扉」

 

 

 

「罪悪感」と言う言葉に

私の内側が反応するのは

やはり亡くなった両親のことです

 

生前もっとこうしてあげればよかった

もっとこうしてあげられたのではないか

 

そういう思いを長くもっていて

今も持っていないと言うのは嘘です

 

このエッセイにも5番目の項目に

 

「過去の自分をいじめるのはやめましょう」

 

と言うものがありますが

罪悪感を伴う後悔と言うのは

取り扱いがとても難しいなと思います

 

しかし前に

こんなことを言った人が居ました

 

罪悪感を感じる時は

亡くなったその人を

近くに感じることが出来る

 

それもその通りだなと思います

 

言い換えると

 

亡くなったその人を

どれだけ愛していたか

どれだけ愛されていたか

 

それを感じることが出来ます

 

もちろん自分を責め続けることは

健全とは言えないけれど

 

ある時期それを通して

自分を納得させたい時間もある

 

そんな気がします

 

すっきりと正しい方向性に

向かうことが出来るのは

ある程度自分が納得がいくところまで

悲しんだり辛い思いをしたり

 

その儀式を終わらせることなしには

進めないこともあると思うのです

 

コーチ養成プログラムで

アランが教えてくれることの一つに

 

共感と同情の違い

 

と言うものがあります

 

もし落とし穴があって

そこに落ちて泣いている人が居れば

一緒に落ちて泣いて悲しむのは同情

 

共感は穴に落ちた人の気持ちを

充分に理解した上で

穴から上にあがる勇気を与えること

また手を伸ばして引き上げてあげること

 

今私が話している罪悪感は

もしかしたら

穴に落ちているのが自分で

それを見ているのも自分なのかもしれません

 

共感と同情の境目がとても難しい

 

そんな時だったのかもしれないと

辛かった頃を思い出します

 

コーチングでは

コーチによるクライアントへの

充分な共感なしでは

クライアントは前には進みませんし

進もうとはしません

 

私が父を亡くした時

また母を亡くした時に

罪悪感を感じながら

 

彼らを近くに感じ

辛い感情と共に

癒しに似た体験も得たのは

 

もしかしたら

私自身が私に共感を一生懸命

してあげていたのかもしれない

 

そう思いました

 

結局私が少しでも自分自身を

落とし穴から引きあげたと感じたのは

 

私が何かをしてあげられなかったから

父や母が不幸だったと思う事は

 

ある意味

 

二人の人生に「失礼」だなと

思った時でした

 

父の人生でも

母の人生にも

 

きらきらした時間があり

良い人達にも出会っていて

 

いろいろ辛いことはあっても

彼らが一生懸命に生きた人生だったと

 

彼らにとっては幸せな人生だったと

 

認めることの方が

彼らを愛していると言うことかもしれない

 

それに気が付いた時でした

 

彼らが一生を通じて

尽くし続けた「ベスト」に対して

一緒に感動して誇りに思うこと

 

そちらの方が愛かもしれないと

思い始めた頃でした

 

 

それが正解かどうかはわかりませんし

今も時々頭を抱えちゃうくらい

私はバカだったと思うことは

たくさんありますし

 

あの頃の私は

何にもわかっちゃなかったなと

反省することだらけです

 

ですが

 

自分へのそんな共感を繰り返しつつ

共感を自分にしてもらって

それから落とし穴の上に広がる空を見て

 

それを繰り返している内に

 

少しずつ前向きに歩いている

 

それは感じられるようになりました

 

罪悪感と言うものは

もちろん「恐れ」から発していますが

 

それでもすぐに裏返れば

愛に変容出来るものだと思います

 

だからこそ

 

一端持ってしまうと尾を引くけれど

 

変容後に気が付く

愛の大きさも半端ないかなと思います

 

 

 

U22