皆様、おはようございます
アラン・コーエン認定
ホリスティックライフコーチ
桜水現実(オースイうつつ)です
11月に入って
夜がさらに気温が下がった気がします
季節の移り変わりって
本当に規則正しくやってきますね
多少の寒暖差はあったとしても
私はと言えば
10月のアランさんの訪日が終わり
その後すぐに福岡に帰省し
(実は福岡で大きな結論を出して)
ほっとして東京に帰ってきたら
なんと数年ぶりに熱を出しました
会社を辞める少し前から
こういう仕事をちょこちょこやっていて
そのころからまったく風邪知らずでした
(ちなみにその前は必ず
季節の変わり目にひいていました)
弱そうに見えて強い!
と言うのが自慢でしたが
びっくりしました
しかもお腹をやられてしまい
今もそれが続いています
好きなものを見ても
食指が全く動かないのは
別の意味で悲しいです
私たちは魂と言う
スピリチュアルな存在ですが
身体って本当に
体験を味わうために
必要不可欠な乗り物なんだと
つくづく感じています
昨日お布団の上で
こういう時母親がいつも
電話してきて「大丈夫ね」と
言ってたなと思い出しました
あまりにも当たり前の出来事で
忘れていたけれど
少し前の日の私の声が弱いと
疲れを敏感に察知して
必ず次の日にかけてきていました
昨日は少し元気になったので
外出しましたが
よく行く近くのスーパーで
顔見知りの方がにこにこと
「こんにちは~」と声をかけてくれました
病み上がりで初めて顔を合わす方が
いつも通りでとても安心しました
当たり前すぎて忘れていたけれど
「この世の中は
当たり前を守っている人達で
出来ているんだよ」
これは「校閲ガール」と言うドラマでの
菅田将輝くんのセリフですが
すごく感動したのを覚えています
電気、水道、電話…
当たり前に使っているものには
全てそれを必死で守っている人達が居る
小説家だった彼が
そのドキュメンタリーを書くと
心に決めるシーンです
(石原さとみちゃんが
「すごい!」と言ってあげてます)
ドラマはさておき
そう思って周囲を見てみると
私はなんて守られているのだろうと
思います
直接的にも間接的にも
私の周りのものの背後には
誰かが必ず居てくれていて
それを当たり前にしようと
守ってくれているんだなと思うのです
私たちは「変わる」という事に
時々恐さを感じますが
「変わる」と言う事で
通常や当たり前がなくなってしまうことが
恐いのかもしれません
でも今周囲を見ると
私が変わったとしても
変わらずついてきてくれたものも
たくさんあると思えます
それこそこの水道、電気、電話
人の笑顔も含めて
この身体もね…
結局、何を選ぶかなのです
人はたった一人で
変わるわけではありません
いつもスピリットが共に居るし
それこそ「当たり前」で
居続けてくれるものも多々あります
たった一人で変わることを選べば
私たちはたいていの場合
恐れにまみれることになるでしょう
それは当たり前のことです
一人は恐いですから
でも自分をとりまく
有難いものたちと共に変わっていく
それを選べば
きっと恐れは減っていきます
結局は私が何を選ぶかなのです
「そんなこと言ったって」と
自分に言い訳をあげるのは
とても簡単ですが
そうしたところで
変わることを選択するのも
結局は私なんだよなと思います
「変わらない」承認を
他者に求めても何の気休めにもなりません
だから「当たり前」の仲間達を見つけて
一緒に変わっていこうと
心の中で
声を掛け合うのはどうでしょうか
生姜をすって入れた
紅茶を飲みながら
これも実は当たり前に守られて
ここにあるんだよな、と思っています
だからこれも私の仲間です
うつつ
