こんにちは。
桜水現実(オースイうつつ)です。

昨日から広島に来ています。

着いてすぐに、広島市内を回ろうと思い、
路面電車に乗って行きました。

広島は、本当に美しい街だと思います。
空気感が清々しくて、この気持ち良さは何だろうと思いました。

そして
目的地で降りて、、、

ある一角に入る角を曲がった時、
あっと声をあげたくなるぐらいに、
空気がまた変わったのがわかりました。

そこは、本当に静かで、
いろんな国籍の人が居て、
おもいおもいの感情を抱えて
歩いていたに違いない場所でした。

そして、歩き続けると、
あれが見えて来ました。

原爆ドーム

{9262240F-B5B4-412E-B647-DC71F0D9CBD5}

ここに来るのはもうたぶん4回目です。

そのたびに、激しく胸を揺さぶられるのですが、
感じることも少しずつ変わって来ています。

先日アラン・コーエンさんが来日された際に、

広島という場所は、かつて本当に酷いことが起こった場所だけれど、
いま全世界の祈りが集まって、癒されて愛溢れる場所になった、と言うような事を言われました。

(詳細の言葉遣いは少し違っているかもしれませんが、私はそのように受け止めました)

昨年夏、今年の春に向けて、
アランさんの事務所からアメリカのコーチに日本に来てもらった際の
リトリートとツアーの企画のご依頼を頂いたのですが、

その時も「広島は必ずツアーに入れてください」と言われました。

私が今日感じた思いは、、、

人々の祈りが集合している場所の圧倒的なエネルギー

なのかもしれません。

雪が降りだすような寒さのせいもあったかもしれませんが、

人を無言にさせるようなものがあります。

とにかく、私は川べりを歩きながら、

この川があの日は、水を求めて息絶えた人々で折り重なっていたのだと思って見詰めていました。

小学生の頃、この悲劇に関する本は読み漁りました。
その記憶がまた蘇って来て、胸が苦しくなって来ます。

{8FF744C8-6EF1-4FE1-BB72-E686E5BEE990}

そんな時、祓われていくような
力がすっと抜けていくような音が聞こえました。

平和の鐘を誰かが鳴らしてくれていて、
とても冷たい少しばかり波立つ川面に、
本当にそれは祈りそのもののように響いていました。

その頃から、雪がちらほらと降り始めました。

雪の中を黙々と歩き、
追悼平和祈念館と言うところにたどり着くと、

そこにはまだまだ、刻み切れていない原爆死没者の名前を知らせてほしいと言う呼びかけと共に、

さまざまな展示がありました。

そして、

当時の爆心地近くの中学校の生徒の遺族の方達が、
書かれた作文もビデオ化されて流れていました。

「星は見ている」と言う文集です。

それを見ていたら、

我慢していたものが、急に込み上げて来て、
嗚咽を必死で我慢しながら、
人目も憚らず、泣いてしまいました。

泣きながら、一方でとても冷静に、
私は何故泣いているのだろうか、と考えていました。

遺族の方のお話しの中の、
他愛もない故人との会話を
ありありと、まるで見たように、
思い描いてしまうのです。

そして、私は気が付きました。

あまりに、私たちの日常に近過ぎるからだ。

私たちの当たり前の日常が
その昔にもあっただけなのに、

それが突然なくなってしまうことが
信じられなくて、私は泣いている

そう思いました。

彼らは私で、私は彼らなのです。

戦争云々のそんなことの前に、

私が感じたことは、  
当たり前がなくなってしまう悲しさでした。

毎度思うことですが、、、
広島の街は、本当に美しいと思います。

川が流れているせいでしょうか。
空気がとても穏やかで、丸いのです。
そして、夏に来ても、冬に来ても、
独特の「澄み」がある気がします。

今、世界の向かって行く方向が、
混乱して行く中で、

私に出来ることは、何かわからないけれど、

ただ、当たり前を大切にしよう、と思いました。

おはようと笑顔で言い合えること。
行ってきます、と元気に言えること。

平和な一つ一つの風景や自然。

その瞬間に感謝をしようと思いました。

そして、当たり前をもっと表現しようと思いました。

ありがとう、と言う言葉。
ごめんなさい、と言う言葉。

自分のハートに正直な言葉を使おう、と。

ハートを伝えられる言葉や文字を持つことに、
そして、それを誰かと分かち合えることに、

ちゃんと感謝をしようと思いました。

{68F2FC85-F438-43D4-8B62-E6EE37160D0D}

来てよかった、、、と私は思いました。

ここで、しっかりとまた大切なものを胸に刻めたような気がします。

昨日、「世界を選択する」と言うエッセイ記事をアップしましたが、

「選択」とは、もしかしたらとても贅沢なパワーなのかもしれません。

まず、選択が許されると言うことは、

当たり前がすでにもうそこに在る

そう言う前提でのことなのかもしれません。

一人一人が幸せに生きること。
生きようとすること。

それが、またその前提を大切にして、
守って行くことなのだと思います。

広島より。


うつつ