皆様、こんにちは。
桜水現実(オースイうつつ)です。

まず、初めに、ご飯中の方は、あとで読まれたほうが良いかもしれません(笑)


小さな頃、お手洗いはまだ「汲み取り式」の所がたくさんありました。

水洗トイレが、やっと普及始めようとしているころでしたが、
まだまだ近所に良く、汲み取るための大きなバキュームトラックが来ていました。

私達は、それを「黄金車(おうごんしゃ)」と呼んでいましたが、
果たしてそれは正式名称だったのでしょうか。

そのトラックが来ると、匂いが溢れていて、
よく足早に鼻をつまんで走って行く人たちがいました。

私はその頃幼稚園生でした。

ある日、二つ上の兄と私と二人で、その横を鼻をつまんで、「くさいー」と言いながら、走り抜けた時、

母に言われたことがあります。

働いている人はもっと臭いの。
でも、こうしてくれる人が居ないと困るよね。
だから、臭いと私たちが言ってはだめよ。

ありがとう、よね。

それからの後の話は、子供ながらの笑い話なのですが、

「あー、いい匂いー」
「ぜーんぜん臭くないねー」

そう言いながら、兄と私はその横を歩いたそうです(笑)

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ずっと前に見たドラマでのセリフでもあるのですが、、、

「あたりまえのことを、届けてくれる人達がいるんだなぁ」と最近思います。

水、電気、郵便、
電車やバス
綺麗な道路や公園、などなど

ごくごく毎日、あたりまえに過ごしている
それを守ってくれる人達が居るのだなぁと思います。

あたりまえを守る。

それって、とても地味で、目立たないけれど、
でも、とてもとても大切な、
無くてはならないことなのだと感じます。

私はあたりまえに感謝しているかな、と時々考えます。

たとえば、、、

健康な身体、命そのもの

あたりまえのように、私の側にあるものに、
私はどれだけ感謝しているだろうか、と思います。

あたりまえのように居てくれる家族や友人。

そして、毎朝あたりまえのように挨拶してくれる人達。

あたりまえのような仕事や趣味。

あたりまえの存在の延長上には、
やはり「守ってくれる存在」があるのだと思います。

そのドラマの中で、登場人物が、

「僕はあたりまえを守れる人になりたい」

そう言うのですが、それにとても感動したことを覚えています。

朝が始まることさえ、あたりまえだけれど、
尊いことなのだと思います。

風を感じる気持ちを持てることさえ、あたりまえだけれど、尊いことなのだと思います。

命が守られているからなのだと思うのです。

この世の中は、皆、意識無意識に関わらず、
守りあっているものが、
少なからずあるのかもしれません。

それを思う時、

あたりまえのことをしていれば、きっと幸せでいられる。

そう言う安堵感がぐっと近くなります。

何も変わったことをしなくてもいいし、
目立とうとしなくてもいい。

安全に守られるために、
あたりまえを守ればいい、と。

誠実に仕事をする、とか。
目の前のことを真面目にする、とか。
健康的に過ごす、とか。
リラックスする、とか、
やりたくないことは、やらない、とか。

実際にどこまで出来るか出来ないかは別にして、

あたりまえの幸せを守るためには、
なんら難しいことではなく、

無理せず、あたりまえに過ごせばよいのだ、と。

そんなシンプルな法則に、
ぐっと、ぐっと気持ちが楽になります。

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話を元に戻すと、黄金車とは、よく言ったもので、

本当の意味で、「黄金」のあたりまえをしてくれる車とその人達だったのだなぁ、と思います。


小さな頃の印象に残っている人の言葉や場面の記憶は、実に聡いことを教えてくれます。

大人になっても、思い返すと、
真実をそこに見つけることがあります。

人は、やはり子供であろうと、
理屈抜きで響いてくるようなものは、
ちゃんと心に残し続けているのでしょう。

きっと内なる魂は、
子供であろうと、大人であろうと、

きちんと幸せに生きていくための知恵に
敏感に反応するのだと思います。

目に見える存在と目に見えない存在の、
あたりまえのサポートでこの世界が出来ているように、

私たちの人生もまた、
あたりまえの魂のサポートで
あたりまえの宇宙のサポートで

きっと出来ているのかもしれません。


うつつ