やはり、歳をとると味覚は変わるのだろうか。
昨夜ふと考えた。
昨夜、うちで、ご近所付き合いのある友人達との忘年会を催した。
会社帰りにお惣菜を買ってくる、と言ってくれた友人に、「あ、モンブラン買って来て」と頼んだ時に思ったのだ。
最近の私のモンブラン好きは度を越し始めた。
急に無性に食べたくなる。
ちょっとザラッとしたあの栗のクリームと、ふわっとした内側のスポンジとクリームを思い浮かべただけで、たまらなくなる。
駅前のコージーコーナーに急に買いに走ったりする。
ほとんど突発性モンブラン好き病だ。
私は大人がたくさん周りに居る環境で育ったのだが、
あの頃は、イチゴショートに心を奪われており、大人達が奪い合うようにして、モンブランを食べていたのには、全く理解できなかった。
残っているケーキがたまたまモンブランだったとしても、私は迷わずえびせんを選ぶ子だった。
何が好きではなかったのか正確にはわからないのだが、とにかく、「甘ったるい」と思っていたのだ。
少し経つと、今度は「マロングラッセ」と言うハイカラなものが脚光を浴び始め、
大人達が口をベタベタにして必死で食べるのを、割と白い目で見ていた気がする。
当時は、どちらかと言うと、甘いものよりも、塩辛いものが好きで、(酒飲みの将来を物語っているのだが)、
時々頂き物として、うちにやってくる高級なお菓子の「ピーセン」に憧れの眼差しを向けていた。
ピーセンは、東京タワーだか、エッフェル塔だかが紺色の缶にばーんと白抜きで描かれており、それだけで異国感満載で、
当時の「異国」と言えば、「東京」だった私たちは、「東京のお菓子」と呼んでいた。
いま調べて見たら、榮太郎本舗から出ていた東京土産だったようで、呼び名は間違ってなかったようだ。
話を元に戻すと、、、
とにかくモンブランを取り合う大人達のなかで、父親が必ず先に譲っていたのを思い出す。
モンブランを嬉々として選んでいく人たちを見ながら、本当に楽しそうにしていたのを思い出す。
父はモンブランは嫌いなのかと思ったが、そうではなく、たまに残ると、それはそれは嬉しそうだった。
そんなほっこりとすることも思い出した。
☆
しかし、あれだけ嫌いだったモンブランに、ラブコールを目一杯送っている自分に急に気が付いて、昨夜は驚いた。
そして、はたと思いついた。
私はもしかしたら、昔からあまり変わり映えのしないこの容貌が好きなのかもしれない。
だんだんと自分もそれだけ過去を懐かしむ年齢になって来たのだと実感する。
そして、この栗の香りの季節感が好きなのかもしれない。
季節というものを一つ一つ大切に咀嚼して味わいたい年齢になって来たのかもしれない。
そう言えば、春夏秋冬と言う実感を受けることの出来る風景を探し始めたのも、大人になってからだ。
子供の時は、季節はむしろいつでも共にあり、自分の一部だった。
変わらぬ風貌と季節の実感。ギアチェンジは少しはあるけどほぼ変わらぬ味。
やっぱり、モンブランが与えてくれるのは、香り高い安心感なのだな、と思う。
言われてみれば、山の形は富士山に通じて、どっしりと安定している。
うん、、、大人になると言うことは、少し心細さを知ることなのかもしれない。
☆
昔、よく大人達が西城秀樹の「ブーメラン」の替え歌を歌っていた。
♪モーンブラン、モンブラン
モーンブラン、モンブラン、
きっと、あなたは帰ってくるだろう♪
かくして、モンブランは、私のハートに
過去のほろ甘さと香ばしさをくっつけて、
ブーメランのごとく舞い戻って来たのである。
これは流行り病だろうか…。
うつつ
