こんにちは。
桜水現実(オースイうつつ)です。
福岡から東京にやってくる前日(13日)に、不思議なことがありました。
まず、友人の赤ちゃんが無事に生まれた!と言う嬉しい知らせを受けて、
大喜びして一日過ごしたその日の夜、、、
突然、とてもとてもお世話になっていた方の訃報を受け取りました。
サラリーマン時代に本当にお世話になっていた方で、ずっと入院されていたのですが、
5月にお見舞いに行った時には、とてもお元気そうだったのに。
喜びから悲しみへの瞬間移動に
私は呆然としてしまいました。
さまざまなその方とのお元気だった頃の思い出がよみがえり、
美味しい食事を共にさせて頂いたこと、
アメリカの出張でアテンドさせて頂いたこと、
経営者としての悩みを時々吐露されていたこと、、、
ありありと忘れてたはずの事を思い出しました。
そして、ふと今度は生まれてきたばかりの友人の赤ちゃんのことを想いました。
まだ、たぶんなんの悩みもなく、
「泣く」ことで自分の存在をアピールしているだろう小さな小さな人。
喜びも悲しみも「これから」である小さな生命。
去っていく魂があって
やってくる魂があって
命と言うものは、やはり繋がっているのだな、と。
終わりも始まりも、繋がっているのだな、と。
いくつもの人生のなかで
輪っかのように巡りながら、
永遠に手渡されていくものがあるのかもしれない。
そして、、、
すべての生命というものを受け入れる「宇宙」はやはりあるのだな、と。
うまく言えないのですが、
この二つの事実が同日に重なり合って起こったことで、
そんな風に腑に落ちて、
そして、宇宙に還って行かれたのであろう魂に
還る場所がちゃんとあるんだと言うその真実に
そして、その場所はたぶん全員が一斉に会するところであろうことに、
故人もその赤ちゃんもきっとそこからやってきたんだろうことに、
不思議なことにホッとしました。
もちろん寂しかったけれど
悲しかったけれど
もちろん泣いたけれど
少しホッとしました。
「生まれた時は、丸裸。
死ぬときゃ、それも置いていく」
これは、相田みつをさんの言葉です。
たとえば、、、
ある二つの魂は、
この地球で、たまたま巡り合って
どんな形であれ、言葉を交わし、
喜び、悲しみ、
時には妬みや怒り、、
そんな感情を共に体験して、、、
私たちにとっては、辛い経験であっても
魂同士は手を繋ぎながら
互いの学びを満たしているのかもしれません。
そして、死ぬ時には
その記憶さえもなくなってしまうのかもしれないけど
学び合えた喜びは
魂にきちんと刻み込まれていて
ちゃんと次へと繋がっていくのかもしれません。
「死ぬときゃ、それも置いていく」
でも、きっと人は何かを持って行くのだと思います。
何か形ではないとても貴重なものを、ちゃんと得ていくのだと思います。
そして、また引き継ぐ形ない「何か」も残していくのだと思います。
そんなことを考えながら、
福岡のセッション前の「お参り」に向かっています。
今日は、とても良いお天気です。
うつつ


