こんにちは。
桜水現実(オースイうつつ)です。
最近朝お散歩をするようにしています。
「歩くこと」は腰や首、それから歯の噛み合わせにも良いそうです。
朝、部屋を出て、公園沿いを歩き、川べりまで行って、
土手を降りて、てくてくてくてく歩いていると、
水のなかにいる思いの外でっかい鯉や、
仲が良いのか悪いのかわかんない水鳥たちを見つけます(笑)
岸のほうでは、不思議な色合いの蝶々がたくさん飛んでいて、どうやら、恋の季節のようです。
時々、岸に腰掛けて、ここに来るまでに買っておいたサンドイッチとか、ジャンボフランクとかを食べたりもします。
お茶をごくごく飲みながら、
川の流れの一定のゆらゆらを見ていると
心が同じ波の動きになって穏やかになり
だんだんと目の前の景色が明るくなってきて
緑が濃く、輝き出すのがわかります。
本当に不思議なんですけど。
こんな気持ちのまま、そのまんま生きていけたらいいなぁ、と
つくづく思います。
そのスポットは、たぶん私にとってつかの間、どこかに連れて行ってくれる場所のようです。
そんなに大それた川でも何でもない、小さな住宅街の真ん中を流れる川なんですが…。
どんな世界に生きていたとしても
心はいつも自由なのだと思います。
肉体はここにあるんだけれど、
心というものは本当にいろんな場所に行くことが出来るんだなあ、と。
だから人は生きていけるんだと思います。
前にアランコーエンさんのセッションで言ってもらった言葉。
エゴはいつも愛を肉体と共に体験したがる。
でも愛の体験は、肉体とは別のところにある。
夢、希望。
例えば、それは心の愛の体験に他ならないと思います。
遠くの愛する人を思うこと。
それも愛の体験だと思います。
いま、それは目の前にはないけれど、ありありと心のなかで体験することによって、
それは、もうリアルな体験なんだなぁ、と。
愛の体験は、常に「満ち足りて」いると思います。
だから、その体験をし続けることは、本当に生きていく上で大切なこと。
心とはやっかいなものです。
のびのびといつも自由でいればよいものを、
怖がったり、怯えたり、縮こまったり、、、
ですが、心があるからこそ、
私たちは肉体とは別にいろいろな世界に行って
いろいろな体験が出来るのかもしれません。
それこそ、マップカードではないですが、
聖なるプールで自分を見つめたり、
夢の平原で遊んだり、
優しい庭師に出会ったり、
龍の隠れ家の横をそっと通ったり、
願いの井戸を覗き込んだり、、、
愛の冒険は、肉体ではなく、心で体験するものなんだなぁ、なんて、
思いながら、お散歩しています。
うつつ


