おはようございます。
桜水現実(オースイうつつ)です。
小さなころの思い出のメモランダムとして、綴ります。
今日は雨とともに、涼しい風が吹いています。
お盆の三日間。
人の「死」と言うものが、急激に身近に感じられるこの三日間。
今年は、実家に帰らず、東京で過ごすことを決め、いま、迎えの団子を作ったところです。
田舎のように、迎え提灯もないし、お仏壇と呼べるものもないのですが、
でも出来ることをやろうかな、と思っています。
田舎のほうでは、朝昼晩と精進料理を作って、仏様、ご先祖様に供えるのですが、
これが毎回大変で、供える場所が多いので、ご飯もの、汁物、煮物、サラダや果物とフルセットをいくつか用意します。
歳をとってからは母は毎年「今年は簡単に許してもらおう」と言いながら、
いつもその場になると結構な手間暇をかけていました。
フルセットをいくつかに分けるのも面倒で、小さい時「皆んなで分けてください、って言って、一つのところにお供えする?」と言ったことがあり、
母が楽しそうに、笑いながら首を横に振ったことを思い出します。
お供えのときに、これは「ガキさんへ」と言われて、手渡されるものがありました。
お仏壇の端っこに、必ず一番最初に置かなくてはならないお皿。
汁物もご飯ものも、果物も、オカズも、全部一緒くたに一皿に盛られていて、いつも誰にあげるんだろう、もっと綺麗にしてあげればよいのに、と思っていました。
少し大きくなってそれが、ガキ=餓鬼。
いわゆる「無縁仏」の方々のことなのだとわかりました。
二日目は、親族が皆で集まり、宴会(笑)
お盆の最終日は、餓鬼さんにお供えした三日間のものを大きな芋の葉に包みます。
そして、お仏壇から長い長いお線香に火をもらい受け、そのまま車に走ります。
その火を頼りに、餓鬼さんが帰っていく、、、そう聞きました。
私はいつもしっかりと芋の葉にくるんだ餓鬼さんへのお土産を持ちました。
何故か、一番年下家族である私への、それが役目でした。
筑後川に行くと、お線香が間に合うように川岸に急いで降りていって、
お線香とともに、お土産をお供えし、帰ります。
後ろは振り返ってはいけない、と言われました。
餓鬼さんに、この世の未練を見せてはだめだ、と。
帰り道に向う側から、今から餓鬼さん送りに走ってくる車の窓から出ているお線香の火と、筑後川を流れる提灯を今でも覚えています。
とても美しく、でもどこか静かな不思議な空気感でした。
あれが、もしかしたら、「祈り」の空気だったのかもしれません。
今では、川の汚染が問題になり、餓鬼さんへの祈りである「精霊さん送り」も、規制されていると聞きました。
いつも芋の葉をくださっていたお向いさんも、いつの間にか駐車場になりました。
小さなころのお盆は親類が集まってきて、すっごく楽しかった。
でもお正月とは違って、お祭り騒ぎではなく、決して暗くはないけれど、
不思議な静けさがありました。
鳴き続ける蝉の声とじっとりとした暑さのせいかもしれませんが…。
人の心の奥底に、「お盆」と言う時期への抗えない静粛さがあったのかもしれません。
そして、私たち家族の楽しみは、その「餓鬼さん送り」のあと、皆で喫茶店に行くことでした。
家族全員が、美味しい飲みものとともに、
さっきまで息をひそめるようにして行っていた「儀式」から解放される瞬間でした。
まるで、現実に帰るかのように…。
何かを決まってやり続けることは、実はとても大切で良いことかもしれません。
少なくとも、私の心の中に、何度も何度も上書きされ、塗られた「お盆の思い出」があり、
父を亡くした今も、帰ってくる彼を信じ、感じることが出来ます。
皆様、ご家族と素敵なお盆休みを…☆☆
私の幼い日の思い出の長い文章に、お付き合い頂き、ありがとうございます。
うつつ