先週末、福岡に帰ってきました。

福岡空港で出迎えてくれた母は、思ったより元気そうで、ちょっとほっとしました。

いま「一応闘病中」の母ですが、薬の副作用がいろいろなところに出始めており、

遠隔ヒーリングを受けながら、薬を投与しながら、副作用も行きつ戻りつ…。

母は昔から肌が自慢の人でした。

あからさまに自慢をするわけではないのですが、歳の割には若々しく
よく人に褒められるとそれはそれは嬉しそうに私たちに話しました。

今回の薬の副作用が肌に出ると聞いて、心のダメージを心配したのは私だけではないと思います。

その母が「気合いだ」と言わんばかりに、思いを込めたせいか、さほど顔にはでておらず、

母は病院の担当医の先生に自慢げに言ったらしいです。

「先生っ!私って、やっぱりなんか『持ってます!』ね」

そうですねと、ニコニコ微笑む先生を前に、母ははしゃぎながら言いました。

「こんな素晴らしい先生に出会う運を持ってます!」

うまいっ!座布団!
このっ!人たらし!

と、思わず言いそうになりました(笑)

でもそれは本当の母の気持ちだったらしいのです。

でも、私はその夜、母の隠れた苦しみをやっぱり知りました。

母の手は、副作用でがさがさに荒れて切れており、背中もがさがさ。
頭の中は、かさぶただらけ。

病院からもらった薬を塗りながら、母は独り言を言います。

「ここで凹んじゃいかん。暗くなっちゃいかんのよ」

それを、聞いてしまいました。

ぶつぶつ、ぶつぶつと独り言を言うのです。

そして、ふと、私に向かって晴れ晴れとした顔で、「生きてるんだから、幸せよ」と言いました。

もうそんなに綺麗でなくてもいいわ、と。

「好きな男もあの世へ逝ったし、もう見とらんやろ」と大笑い。

その底抜けに明るいエネルギーに、二人して本当にお腹を抱えて笑いました。

強いなぁ。

本当に心から感じました。

私の知っている母は敏感すぎるほど、人の心や周囲に敏感で、
その感じやすさ故に、傷ついて落ち込んでいるところをよく見ていました。

そこから何度も、ガシッと這い上がる強さももちろんあったのですが、

こんな風に、さわやかに事も無げに笑える強さは、初めてでした。

どちらかというと、決意を固めたような強さの印象の人だったのです。

今の母は、本当に手放し切っているのです。

死を見つめると、人は明るくなるのだろうか。

私は本気で考えます。

真正面から自分の人生にある避けられないものを見据えたうえで
果てしなく、笑って生きる。

その力強さと圧倒的な前向きな姿勢は私にこう言いました。

何が辛いの?
何も辛くない。
あなたがそこばかりを見るから辛いだけ。
世界は喜びに満ちていて、あなたはそれに気がつかなければ…。

福岡に帰る前に、年上のお友達に頂いたLINEのメッセージがよみがえりました。

「親はいつまでも親。子供のことはよくわかっています」

「これはほんとうのことなんだけど」

と、不意にまた母が言います。

「不思議なことに、今が一番幸せなんよ」と。


母のがさがさな背中に学びをもらった時…。

私はまだまだだ。

そう思いました。

命があると言うことは、それだけでまだたくさんのものや人に出逢えると言うこと。

そして、まだまだ人生に味わうべきものがたくさんあると言うこと。

それが甘くても苦くても、何もないよりはずっといい。

私はなんて狭い世界に居たのだろうか、と思いました。

悩みや苦しみ。
嫉妬。汚い感情。

知らず知らずのうちに、自分が自分を悩ますものにしか目を向けていなかったものに気がつく。

心を閉じていたのは相手だけではなく、自分もそうだった、と。

あるいは、相手ではなく自分だったと。

心を開いているときに、圧倒的に言えることは、幸せを感じているか、です。

幸せを感じていなかったり、なんらかの戸惑いかあるときは、
心が閉じていると言うことです。

当たり前のことに当たり前に気がつけた自分を見て、

あー、やはり親はずっと親だと思えた瞬間…、

うつつの独り言。聞いていただいて、有難うございました☆

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うつつ