最近、いろいろな方のヒーリングやリーディングを受けさせて頂く機会に恵まれました。
それから、自身もセッションをさせて頂くなかで、あれ?と感じることがありました。
皆さんそうだと思うのですが、急に、あれ?と拍子抜けするぐらい、何かがわかっちゃうときがあります。
「わかっちゃう」と言う言い方は少し語弊があるかもしれなくて、「見つける」と言ったほうが正確かもしれません。
気付きと言うのは、その名の通り、本当にそんな風にさりげなくやってくる場合が殆どです。
気づかなかった!
と言う衝撃や驚きはあっても、たぶんその飛び込んできたものをよくよく見ると、そんなに知らないものではない。
本当は心のなかにずっとあったけれど、見ないふりをしていたもの。
見たくなかったもの。
耳を塞ぎ続けていたもの。
喉をつぶしてまで、声をあげることを自制していたもの。
それを出し切ることが、「浄化」ではないかと思います。
そして、その浄化の果てに、、、
本当は本当はどうしたい、とか
本当は本当は何が欲しい、とか
本当は本当はどうなりたい、とか。
なんの混じり気もない気持ちだけが、ポトンと残って落ちている。
そこからが真の意味で変容の仕上げ段階ではないかと最近思います。
だから浄化の途中は、いろんなものを自分のなかに発見します。
汚いもの。
信じられない偽り。
エゴ。
そして、また見せられ続けます。
だけど、私は思うのです。
それが無ければ、私は気がつかなかった。
それが起こらなければ、私は同じことを繰り返していた。
「あれれ?見つけた!」という時は、こんな風に、今まで自分自身や周囲に「見せられ続けたもの」のなかに、
実は深い深い自分への天の慈愛が、或いは関係者全員への天の慈愛が、ちゃんとあったと言う感動と共に訪れる気がしています。
今の場所を立ち去る時や、新しい場所に向かう時、
いつの間にか周囲が変わる時、痛みの有無はあっても、
登場人物の全員が、ちゃんと今収まるべきところに収まるのだと感じます。
もし、自分自身が浄化されていれば、進む道も苦しくないのでしょう。
今日のオラクルでも出ましたが、人は皆自分自身と言う重い歴史を背負って生きています。
だから、歴史の痛みを癒すのは、自分のなかの心の大地をもう一度癒すのは、本当に皆大変で、それぞれが頑張っているのだと感じます。
その上、一人一人は、とても心細い存在です。
だからこそ、励ましあって行けるように、ちゃんと人は、愛の光をプリズムみたいに発光できるような
そんな水晶玉のような可能性を秘めた魂を持たされているのではないかな、と思います。
そして、その「見たくないものの見せ合い」さえも、
天から見たら、きっと人間同士の励まし合いなのかもしれない。
今のところ、そんな風に思います。
うつつ
