皆様、おはようございます!
今日はサロンには、涼しい風が入ってきます。窓に遠く富士山が薄墨で描かれたようにぼんやり見えます。
ようこそ、うつつワールドへ。
今朝は、鳥もやたらと鳴いている。勝手に祝福された気になってる桜水現実(オースイうつつ)です☆
さて、今週のオラクル。
メールリーディングやイベント使用のうつうオラクルで使用するカードを何気無く引いて見ました。
いきなりこう言う感じが出ると、何故か照れた男の子のようになり、頭を掻いてしまううつつです。
見たまんま、パートナーシップに関する素敵なカード。
恋愛、仕事、趣味、あらゆる分野の人間関係のなかなら、パートナーではないか、と思える人が現れる暗示。
しかし、これは逆位置で出ました。
逆位置は、「依存」を意味します。
その関係に依存し過ぎないように、今の関係が依存しあっていないか、依存され過ぎてはいないか、よくよく感じて見なさい。
それを問うカード。
ある著名な劇作家が言いました。
人間関係は、常にサドマゾでしかあり得ない。
会話のボケとツッコミもしかり。
パワーゲーム。
難しいところだと思うのです。
支え合うことと依存は異なると言います。
でもお互いがお互いちょうどいいパワーで支え合うなんてことがあり得るのだろうか、と思いますよね。
補助のサイコロは、干上がりの卦から、雪解けの卦へ転じることを言います。
今週、なんらかの滞っていた人間関係が流れ出すのではないでしょうか。
そして、その流れの清々しさを感じる時、それは、もう依存だの支え合うだのと言うことではなく、
ちょうどいい関係なのではないかと思うのです。
これをやってあげた、とか。
これをやってもらった、とか。
だから、こう返そう、とか。
だから、これを返してもらおう、とか。
そんな思いは、愛とは程遠いところに存します。
何かを差し出す愛があるということは、何かを受け取る愛があるということだとも言えます。
例えば、何かに対して相手に強烈に異を唱えたとします。
それはとても正論だったとします。
相手が悪いのは火を見るよりも明らかかもしれないものだったりします。
ただ、正論を言ってあげた自分も居れば、それを聞いてくれた相手が居ると言うこと。
それを忘れてはいけないと思うのです。
言葉の中身とか、論述はどうでもいい世界がスピリチュアルの世界には一局面としてあり、
エネルギーの交換と言う部分だけをみれば、とても公平なやりとりであるものだと。
一方的なエネルギーしかないこと。
依存ではないでしょうか。
忘れられない言葉があります。
昔、母が私をひどく叱ったとき、「心配かけてごめんなさい。ありがとう」と私が言いました。
母がふっと力を抜いて、「わかってくれて、ありがとう」と返してくれました。
「ありがとう」の交換がある限り、清々しさは流れ出します。
そして、それは傍目にどう見えようと、そこに「ありがとう」の交換があれば、
「依存」ではないのです。
そして、交換しあうものが、「ありがとう」のように清々しいものであり、
「傲慢」のようにごつごつした頑固な岩で無い限り、共依存ではないのです。
今週は、あなたのパートナーシップを考える一週間。
仕事、趣味、恋愛、家庭。
そして、自分自身とのパートナーシップ。
自分自身との「ありがとう」の交換。
清々しさの交換をもって、パートナーとの聖なる融合を☆
読んで下さって、ありがとうございます☆
楽しい一週間でありますように。
うつつ
