とにかく、小さな頃から時代劇が大好きで、今もって観るとわくわくする。
水戸黄門、必殺仕事人のような大人版の仮面ライダーとか、戦隊ものみたいなものも好きだし、
純粋に大河ドラマにあるような歴史の史実に基づいたものも好き。
けんかは好きではないのだが、甲冑は好きである。
甲冑のあの歩くとカチャカチャ言う音とか、時々好き過ぎて鳥肌が立ってしまう。
甲冑の音フェチかもしれない…(≧∇≦)
時代劇好きはテレビにとどまらず、本も好き。
歴史ものの小説を読むと、主人公にすぐ同化してしまうので、
「棟梁の器にあらず!」と、会社でも堂々と上司批判をしてしまう。
相棒との声の掛け合いが、「御意!」や「承知!」となったりする。
心はすっかり昭和を通り越している。
歴史もの、時代ものが、何故好きなのか?
最近気がついた。
人の死にざまを大切に扱うのだ。
いかにして死んでいくか。
そして、それはそのまま繋がっていく。
いかにして生きていくか?
生きざまに繋がっていくのだと思う。
犬死をせぬために、無念を残さぬために、命の最後の一滴まで無駄にせず、使い切るために、いかにして生きるか?
(ちなみに命の最後の一滴云々は、坂本龍馬でお父さん役の児玉清さんが龍馬に言ったセリフです)
いつの時代も切迫度の強弱はあれ、同じだと思う。
歴史ものを読んだり、観たりしていると、はっきりとわかることがある。
死は終わりではない。
もし終わりならば、どうしてわざわざ死にざまを考える必要があるだろう。
精一杯生きることになんの価値があるだろう。
そこから始まって行く何かがきっとあるからだ。
人は、実は本能でそれを知っているのではないか。
人々は、何を目指して、何に向かって生きているのか。
少なくとも、それが死と言う「終わり」ではないことを。
ただただ生きて逝く。
死は、人生の終わりや着地点ではなく、むしろ離陸なのではないか、と。
そして、豊かに生きるということは、傲慢と私腹を肥やすことではなく、
心をがっちりと一つに結び合った魂の仲間達と、一つの目的に向かって共に笑い、共に泣くことなのではないか、と。
人生最期のときに、再会を約束したい人がいるか、
或いは、どれだけの人達とどれだけ深く心を結べたか、と。
そんな感じなのかもしれないと思う。
きっと、死は、人生の何が良かったかとか、何が悪かったか、なんて判断しない。
実際に今まで出会った死を振り返って思う。
死は、生よりももっと、ものすごく個人的であり、それでいて、もっとものすごくユニバーサルなことなんだと思う。
その人の人生に立ち会った全ての人をあっと言う間に、ある次元へと連れて行く。
その人の人生そのものが一端、感動へと変わる大切な節目なのかもしれない。
そして、また肉体が消えても、きっと生き続きるものがあるに違いないと思う。
離陸した先の空で。
うつつ
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