♪♪ 雨降りお月さん、雲の陰

お嫁に行くときゃ、誰と行く?
ひとりで唐傘さして行く
唐傘ないときゃ、誰と行く?
しゃらしゃら しゃんしゃん
鈴付けた お馬に揺られて 濡れて行く♪
今夜は、満月、十五夜。
銀のひかりのつぶては、天女の慈愛。
虫の声は、ほど近い季節のざわめき。
その聡明なひかりが降り注ぎ、
ひとの心に届くとき、
ひかりに洗われ、心が生粋の色をとりもどすとき、
あなたのまぶたの裏には、誰の顔が浮かぶだろうか。
ようこそ、うつつワールドへ。
桜水現実です☆

冒頭の歌は、生前父がお月さまを見るたびに歌っていた曲です。
歌詞は正解かどうかわかりませんが、耳から覚えてしまいました。
最近、本当に思うのですが、
たぶん、私達が考えている物事の可能性なんて
起こり得るほんの数パーセント。
この世をすべて知っている気持ちでいること自体が、きっと愚かなのです。
天動説と地動説ではないですが、
何かの前提がばらばらと壊れたときに
天が地となり、地が天となるような
変異が起こるように、
この世の中は本当に何が起こってもおかしくないです。
明日もし春が来たとしても、
春の定義が変わるだけで、10月に桜が乱れ咲くだけで、
10月と言う定義をとって初秋とするか、
桜が咲いたと言う定義をとって春とするか、
そんな風に人の「決めごと」は曖昧で、
しかもとりとめがなく、ぐらぐらと心細いものです。
でも白く輝くこの満月が、
それこそ、このひかりが地球に届くまでに
何億光年?とか、ものすごい時間がかかってるって聞くと、
もう人生の長さなんて定義できるもんじゃない。
悩みなんて、そこらへんにふと吹き荒れた砂塵のごときもの。
先ほどのお月さまの歌ではないですが、思います。
よし、雨に濡れてまいろう…。
唐傘ささずに、お馬に揺られて、ゆっくりと濡れてまいろう。
婚礼に向かうと言うのに、ひとり。
しかも雨降り。
花嫁は、それでも微笑みながら、唐傘か、或いは、鈴を鳴らして進む従順な馬を連れて行くだけ。
行き先は、婚礼なのに…。
自分の責任において、自分を全うする人生は、
そんなふうに、ひとりで歩くものではあるけれど、
いつも婚礼と言う希望に向かっています。
当然だけど、婚礼はひとりではできない。
ちゃんとパートナーが居る。
生まれて来た意味って、もしかしたら…
目標を達成するとか、
お金持ちになるとか、
人を幸せにする、とか
自分が幸せになる、とか
どうでもいいなのかもしれない。
そんなものではなくて、もしかしたら
ただただ、「縁を紡ぐ」ってことなのかなあ、と思います。
言い換えれば、人との絆を紡ぐ。
考えてみれば、人との出会いこそ、全く予測がつかないものです。
それこそ、宇宙規模の予測のつかなさ加減。
そんなことを考えながら、月光と呼ぶには、
少し強すぎるぐらいの光を放つ十五夜の月に
軽く願いをかけてみました。
桜