スピッツと言うバンドの草野マサムネさんは、同い年だ。
もっと言うなら同郷だ。
だからかもしれないが、私は彼らの「ロビンソン」と言う曲がかなり好きらしい。
もうだいぶん昔の曲なんだけど、この曲を聴くと思い出す光景がある。
誰にでもそう言う曲は必ず一つはあると思うんだけど、私が思い出すのは何気ない光景だ。
私はその頃東京に居て、久しぶりに福岡に帰郷して、高校時代の友人に会っていた。
彼女は高校の時、どちらかと言うとあんまり運動神経がない子だったんだけど、
あろうことか、運転免許をとっていてしかも車を買ってて、私を迎えに来てくれた。
どこかのビルで待ち合わせして、地下の駐車場に行って助手席に乗った。
大丈夫かなぁ、と内心ビクついていたけど、彼女はそんな事気にもせずに、実にサラサラと運転を始めた。
私達はもう一人の高校時代の友人を迎えに行くところで、
その子が今お見合い中で、相手に決めようかどうしようか悩んでいる、みたいなことを話していた。
悩むくらいならやめればいいのにね、と私は言い、
彼女も、ほんとだよね、と軽く笑った。
そして、この曲いいよね、と言った。
それが、スピッツのロビンソンだった。
私達はしばらく曲を聴いて、「右脳に作用する歌詞だね」と言って笑った。
宇宙の風に乗るって何なんだよ、わけわかんないよね。
でも、なんとなくわかるよね、と。
他愛もない会話だった。
でも何故だか、鮮明に覚えてるのだ。
迎えに行ったその子は、お昼だったのに家族と飲んでたらしく、ちょっと赤い顔をしてて、後部座席に座るなりふーっと深いため息をついて、「あーあ」と言った。
ただ一言、「あーあ」と。
その一言で私達二人は彼女がお見合いのことで悩んでるんだとすぐにわかった。
でも何も聞かなかった。
その子が嬉しそうに、「あ、スピッツだ」と言い、「ロビンソンが聴きたい」と言った。
それから私達はまた「右脳に作用する」ってことを話して笑った。
ほんのそれだけのシーンだ。
彼女はそのお見合いの相手と程なくして結婚し、いまでは二人の子供を持って、白金に住んでいる。
車を運転してくれた友人は、今も一人だが、身体の弱いお母様と二人で暮らしつつ福岡で頑張っている。
私は、こんなふうに勝手気儘にスピッツの古いアルバムをガサゴソ探し出して聴いている夜を過ごしている。
あの頃、当然のことだが、私達はこんな生活を十何年後してるなんて、予想もしなかった。
ロビンソンは、「誰も触れない二人だけの国」と歌っている。
「君の手を離さぬように 大きな力で 空に浮かべたら、宇宙の風に乗る」
あの頃、私達はそれぞれいろんな問題を抱えていたと思う。
運転してた彼女にも遠くに好きな人が居たし、
後部座席の彼女は結婚を迷っていた。
私もいろいろとうまく行かない現実にもどかしい思いをしてた。
でもあの車の中の小さな宇宙のなかで、私達はとても自由にいろんな考えをひろげて、他愛もない会話で笑い、
不安に出来るだけ目をつぶっていた。
ロビンソンを聴くと、何故かその光景を思い出す。
もっと言うなら、二人の笑い声を聞きながら見ていたダッシュボード。
ぷらぷら揺れてた交通安全の御守り。
悩むくらいならやめればいいのにね、とは今ならきっと私は言わない。
何かをやめればいい、とか、決めればいい、とか言う言葉の重さを今は知っているから。
あの頃の私達は、ある意味とても危うくて、でもとても大胆に生きてたのだなぁと今は思う。
でもあの頃の訳のわからない心細さは今は少し減ったかもしれない。
用心深さを覚えた分、少しだけ。
心細さの理由がわかって来た分だけ。
ロビンソンの旋律はいつもあの時の光景を思い起こさせる。
おどろくほど、サラサラと運転する彼女の横顔と、窓の外を走って行く初冬の福岡の景色。
乾いた空気と皆で歌ったサビの部分。
私の右脳にずっとこびりつき、聴くたびに繰り返す何の変哲もないイメージ。
当たり前のことだが、その時はその時しかないんだな、と思わせる。
その時の宇宙の風に乗れるのは、その時しかない。
桜
iPhoneからの投稿
もっと言うなら同郷だ。
だからかもしれないが、私は彼らの「ロビンソン」と言う曲がかなり好きらしい。
もうだいぶん昔の曲なんだけど、この曲を聴くと思い出す光景がある。
誰にでもそう言う曲は必ず一つはあると思うんだけど、私が思い出すのは何気ない光景だ。
私はその頃東京に居て、久しぶりに福岡に帰郷して、高校時代の友人に会っていた。
彼女は高校の時、どちらかと言うとあんまり運動神経がない子だったんだけど、
あろうことか、運転免許をとっていてしかも車を買ってて、私を迎えに来てくれた。
どこかのビルで待ち合わせして、地下の駐車場に行って助手席に乗った。
大丈夫かなぁ、と内心ビクついていたけど、彼女はそんな事気にもせずに、実にサラサラと運転を始めた。
私達はもう一人の高校時代の友人を迎えに行くところで、
その子が今お見合い中で、相手に決めようかどうしようか悩んでいる、みたいなことを話していた。
悩むくらいならやめればいいのにね、と私は言い、
彼女も、ほんとだよね、と軽く笑った。
そして、この曲いいよね、と言った。
それが、スピッツのロビンソンだった。
私達はしばらく曲を聴いて、「右脳に作用する歌詞だね」と言って笑った。
宇宙の風に乗るって何なんだよ、わけわかんないよね。
でも、なんとなくわかるよね、と。
他愛もない会話だった。
でも何故だか、鮮明に覚えてるのだ。
迎えに行ったその子は、お昼だったのに家族と飲んでたらしく、ちょっと赤い顔をしてて、後部座席に座るなりふーっと深いため息をついて、「あーあ」と言った。
ただ一言、「あーあ」と。
その一言で私達二人は彼女がお見合いのことで悩んでるんだとすぐにわかった。
でも何も聞かなかった。
その子が嬉しそうに、「あ、スピッツだ」と言い、「ロビンソンが聴きたい」と言った。
それから私達はまた「右脳に作用する」ってことを話して笑った。
ほんのそれだけのシーンだ。
彼女はそのお見合いの相手と程なくして結婚し、いまでは二人の子供を持って、白金に住んでいる。
車を運転してくれた友人は、今も一人だが、身体の弱いお母様と二人で暮らしつつ福岡で頑張っている。
私は、こんなふうに勝手気儘にスピッツの古いアルバムをガサゴソ探し出して聴いている夜を過ごしている。
あの頃、当然のことだが、私達はこんな生活を十何年後してるなんて、予想もしなかった。
ロビンソンは、「誰も触れない二人だけの国」と歌っている。
「君の手を離さぬように 大きな力で 空に浮かべたら、宇宙の風に乗る」
あの頃、私達はそれぞれいろんな問題を抱えていたと思う。
運転してた彼女にも遠くに好きな人が居たし、
後部座席の彼女は結婚を迷っていた。
私もいろいろとうまく行かない現実にもどかしい思いをしてた。
でもあの車の中の小さな宇宙のなかで、私達はとても自由にいろんな考えをひろげて、他愛もない会話で笑い、
不安に出来るだけ目をつぶっていた。
ロビンソンを聴くと、何故かその光景を思い出す。
もっと言うなら、二人の笑い声を聞きながら見ていたダッシュボード。
ぷらぷら揺れてた交通安全の御守り。
悩むくらいならやめればいいのにね、とは今ならきっと私は言わない。
何かをやめればいい、とか、決めればいい、とか言う言葉の重さを今は知っているから。
あの頃の私達は、ある意味とても危うくて、でもとても大胆に生きてたのだなぁと今は思う。
でもあの頃の訳のわからない心細さは今は少し減ったかもしれない。
用心深さを覚えた分、少しだけ。
心細さの理由がわかって来た分だけ。
ロビンソンの旋律はいつもあの時の光景を思い起こさせる。
おどろくほど、サラサラと運転する彼女の横顔と、窓の外を走って行く初冬の福岡の景色。
乾いた空気と皆で歌ったサビの部分。
私の右脳にずっとこびりつき、聴くたびに繰り返す何の変哲もないイメージ。
当たり前のことだが、その時はその時しかないんだな、と思わせる。
その時の宇宙の風に乗れるのは、その時しかない。
桜
iPhoneからの投稿
