もともと、テレビがあまり好きではないです。はい。
何故かと言うと、うるさいし、ちょっと画面のチカチカがイラっと来ることが多く、
だいたいいつも一日中、音楽をかわりに流しています。
だけど、時々何気なく、テレビをつける時がもちろんあって、
先日「ラストホープ」って言うドラマを何故だか偶然にも二週連続で観てしまった。
ちょうどつけたくなったタイミングがそのドラマのタイミングだったみたい。
嵐の相葉くんが演じているドクターものなんだけど、
割としらじらしいぐらい心の中の声をみんな言葉に出しちゃうから、いい意味で分かりやすい。
「ラストホープ」ってどうやら病院の名前かなんかで、
重症患者が最後の生きる望みをかけて集まってきて、最先端医療をやってくれるところみたい。
そこに前週から白血病の治療をもう受けたくないって言う女の子が来ていて、
それは「どうせ死ぬんだから、治療を受けてもおんなじ。痛い思いをしても裏切られる」って言ってた。
もうこの時点で、うつつは実は胸が、くーっと痛くなってしまう。
(と言うのは、私、中学時代、高校時代、大学時代と何故か「不治の病」と言われる病気にかかって若くして亡くなった友人達が居る。すぐに彼女たちの笑顔を思い出してしまう。)
(あの笑顔の裏にこんな思いがあったのかもしれない、などと考えてしまう)
話をもとに戻すと、その白血病の女の子が、自分より重症患者のある女性(石田ひかりちゃん扮する)が「スターティングノート」を言うのをつけてて、病気が治ったら何をする、とかいうスタートを書き込みながら、明るく頑張ってる姿を見て、やっと、自分も頑張ってみようと思うの。
石田ひかりちゃんは、実は設計デザイナーの第一線で働いているすごい人なんだ。
しかし、その努力もむなしくその石田ひかりちゃんは亡くなってしまう。
それでまたその子は怖くなる。
結局一緒じゃないか。あれだけ強く希望を持っていても、だめなものはだめ。
そこで、彼女が生前設計した喫茶店に行って、茫然としてたら、ラストホープに研究医として勤める小日向文世がやってくる。
そこで彼女は石田ひかりちゃんが、「スターティングノート」とは別に「エンディングノート」をつけていたことを知る。
エンディングノートは、「自分が死んだあと」のことを書いてあるものだった。
小日向さんのセリフが圧巻なんだけど・・・ちょっと正確ではないけど、確かこんな感じ。
「人は、いつも相反する感情を持っている。
生きたい、と思う反面、もう死にたい、とも思っている。
これでいい、と思う反面、これではいけない、とも思っている。
僕は、生きる希望をもちながら、死ぬことに勇気を持った彼女を美しいと思う。
君は、まず死ぬ覚悟を持つべきだ。そしてその上で、生きる為の治療を受けるべきだ」
生き抜くための死ぬ覚悟。
久しぶりに胸の真ん中をドギュンっと射抜かれた。
何事に対しても言えることだと思うが・・・・
いつ終わっても構わない
そう思える人ほど強い人はいない、と私も常々思っていた。
生死に関わることにとどまらない。
この仕事、いつ失っても構わない
この恋、いつ終わっても構わない
そういう気持ちが人に気迫を与え、奇跡的な力を起こすのだと。
よく成功のためには良いイメージを描きなさい、と言うが、それは結構難しい。
何故なら、人は失敗を恐れる心からは決して100%自由になれることはない生き物だ。
終わりを見据えて生きる。
終わりを見据え初めて、人の全力と言うものが発揮される。
小日向さんのセリフを聞いた時、あー、そういうことか、と思った。
感傷的でないいいドラマだと思った。
百恵ちゃんの「赤い疑惑」から始まって、「余命一か月の花嫁」とか、いろんなドラマを観てきた。
そのたびに泣いて、感動してきた。
その時の自分の涙の理由が初めてわかった気がした。
彼女たちは、死ぬ覚悟を決めて生きぬいたから、素晴らしいのだ、と。
「彼女は余命を精一杯生きた」と言うコピーが、どこかしっくり来なかったけど、今、パチンとパズルがはまった。
生き抜いていこうとする一方で、相反する感情で、終わりから目を離さず見据えていた彼女たちの姿。
それが、私の涙の理由だったのだ。
そして、たぶん今の私に必要な言葉だったのだと思う。
良いイメージばかりを無理して描くことはない。
最悪のイメージがあっても、「私なら大丈夫」と思えればいい。
「そうなってもなんとかなる」と思えればそれでいい。
ホープ(希望)は、終わりを見据えることから始まる。
終わりに目をつぶることではない。
絶望を避けることではない。
むしろ絶望を絶望と受け止めない覚悟が出来てから、ホープが始まる。
暗闇から星の光が強く届いてくるように、
本当の希望と言うものはきっと全てをはらみ、
全てを知った上で、一直線に凛々しく伸びていくものだと思う。
桜
