雪やこんこ♪
あられやこんこ♪
まるで歌の世界のようでしたね。
私は通勤路で早速、トリプルアクセルを二回も跳ぶはめになり
そのまま着地は失敗でもんどりうって倒れ
おしりは出るは、帽子は吹っ飛ぶは、
あられもない姿で転がり
しかも誰も助けてくれるはずもなく
黙々と自らのちからで立ち上がり
また無言で歩き始める・・・・
と言う痛い思いをいたしました。
いやあ、痛かった。
「見ていて痛いね」とはしょっちゅう言われてはいるが、
本当に痛い思いをしたのは久しぶりだ。
(しかもたぶん見ていても痛かったに違いない。)
去年の夏のひとりオリンピック以来。
http://ameblo.jp/oosui/entry-11320116947.html
(こちらをご覧ください)
しかし、本当に痛いのはそのあとで、
今日は身体中が筋肉痛と打ち身で痛い・・・・。
本当に私はよく何かと転ぶ。
人生の七転び八起きを、日常にも取り入れている始末。
それも不思議なことにちょっと人生の節目的なことがある場合が多い。
身体ごと痛い思いをしないと変われない性質らしいのだ。
転んだ先の真っ白い雪を見て、起き上がりながら考える。
そう・・・
雪は、本当にいろんな小さなころの思い出を連れてくる。
小学校の時にみんなでやった雪合戦や
兄貴を一緒に雪だるまを作ったことや
庭の雪を取ってきて、それにいちごシロップをかけて食べたこと。
今はもう雷に打たれて無くなってしまった
実家の梅のごつごつした老木に真っ白い雪が積もって
そこに鳥が寒そうに止まっていたこと
その鳥の名前が知りたくて、鳥の図鑑をめくったこと
その庭を眺めていた私の後ろに
父が立って、一緒に眺めていたこと
「風邪ひかんようにね」と後ろからかけてくれた声
あの頃は時間がまるくて、やわらかかった。
絶対的なものに守られていたと思う。
でも、あまりに当然すぎてそれに気づくこともなく
ちょっと迷子になったぐらいで、訳もなく焦ったり
ちょっとしたけんかぐらいで、心がずきずきするぐらい悲しんだり悩んだり
世界がもっともっと狭くて、そこで生きることに真剣で必死だった。
今、世界が少し広くなって、なんとなく時間も過ぎていくと言うことを
よくも悪くも知った。
そんなに真剣で必死に生きなくても、過ぎるものは過ぎる。
あの頃に戻りたいとは思わないけど、
あの頃のちょっとした「了見の狭さ」は、すごく魅力的だと思う。
迷子、兄弟げんか、ちょっとした嘘。
つまらないことで泣きたいほどの思いをしたあの頃は
人生における最高にチャーミングな時代だと思う。
そんなことを考えながら、歩いていたら、
また転びました(笑)
桜
