私は今までその人より優しい人に会ったことはない。

一緒にいるだけで、心が温かくなるような人だった。

無口だけれど、沈黙が雄弁で、何時間でも一緒に居られた。

無条件で受け入れられている安心感が心からあった。

そのくせ、どうしても立ち入ることの出来ない心の領域がその人にはあって、

心が薄い薄い膜に覆われているようだ、と、いつも思っていた。


人生を通して、悩み多き人だったからかもしれない。


その人は人を救うことを職としていた。

そのせいか、優しさが一番この世で強いものだと教えてくれた。

優しさは弱さではないのだ。

勇気は猛々しいものではなく、静かなるものなのだ。


それでもその人はいつも悩んでいた。

それはいつも自分のことではなく、自分の兄弟や家族のこと。

身体があまり強くなく、心の悩みは身体を侵食していった。

なぜだかわからないが、いつもぎりぎりのところで生きていた、と言う印象がある。


それでも、彼が一番嬉しそうに笑うときは、人が嬉しそうに笑っているときだった。


口下手だけど、寂しいとき、横にいつの間にかそっと座ってくれるような人だった。


そして、なぜかバラの花と火山を好んだ。

彼を思うとき、もっとたおやかで、野風に揺れる名もなき花を思い浮かべるのに。


今でも、時々彼が好んだものを見て、彼が何を考えていたのだろうと思う。

何時間でもかけて、自分の好きなものを絵に描いていた彼の横顔を思うたび、

何をキャンバスに描いていたのだろう、と考えることがある。


そんな父が亡くなって、昨日で5年。

父の姿を無意識のうちに迷子のように捜し続けた最初の二年。

命日のたびに、思い出して泣きじゃくった最初の三年。

心の中で長い長い手紙を書き続けた四年目。


今年の命日は、朝起きた時から、嬉しかった。

そばに居てくれる気がして、終始心がうきうきした。

不思議なものである。

決して、彼の死を乗り越えたわけではない。

死を考えると、それはもう、所構わず絶望的な気分になる。相変わらず。

それはきっと一生変わらないな、と思う。


命日が、彼の新しい誕生日みたいなものになったのかもしれない。

人は、この世に居ようが居まいが、居場所は誰かの心の中だけだ。

形あろうがなかろうが、人と人をつなぐのは、心しかない。


もし、私がすべてを全うして、再会できたら、

「うつつちゃん、久しぶり。ずっと見てたよ」と父は言うと思う。

「さすが僕の娘だね」と言ってもらえるように、頑張りたい。


そんな風に思わせてくれた今年の父の命日。

親は、亡くなっても、ずっと何かを教え続けてくれる。


私は本当に幸せだ。



桜水現実のサクラサク-komekp