仕事をしていたら、ふとある曲を思い出した。
「不思議なパフ」
小学校の時に音楽の時間に習った曲だ。
調べたら、ハワイの曲で、原曲は英語だった。(そう言えば、聞いたことあるような)
ウクレレで弾くらしい。
♪不思議なパフ 怪獣だ 大きな海から 毎朝 おはよう~
仲良しジャッキー 島のちびっこ すぐに駆けてきて、やあやあ おはよう~♪
パフと言うのは海に住む魔法の竜らしい。
実は、この歌、ちょっと哀しい。
ジャッキーとパフはいつも一緒に遊んでいる。
かくれんぼしたり、背中に乗せてもらったり・・・
んで、そうやって日々楽しく暮らしていたらさ、
ある時、パフの背中に乗って沖へ出たとき、ジャッキーは遠くの虹をみる。
そして、虹の向こうの町に行きたくなっちゃうのだ。
ジャッキーはパフにお別れを言う。
パフは涙をぽろろんと流す・・・と言うお話。
なぜか小学校の頃、この曲が異様に好きだった。
パフとジャッキーの姿まで、目に浮かぶのだ。
ただし、歌はここまで。
ジャッキーが都会と言う高層砂漠で、人に揉まれて
人に裏切られて、裏切って、どろどろの人間関係を経験して
お金の亡者になって、一等地に家まで建てて、
結婚したが、うまく行かず離婚して、んで最終的に何もかも失って、
茫然としたところで、また高層ビルの向こう側に素敵な虹を見て
パフを思い出して、パフに会いに帰国したら、
パフは老いてしまっていて、もはや沖にも出られる体ではなかった
・・・・などと言う容易に想像がつくオチはない。
でも、小学生の私はどこかでこのオチを知っていた気がするのだ。
だから、どこか胸がきゅんと締め付けられる。
だからなのか、この歌は、陽気でほんわかしたハワイ民謡のわりに切なさを伴って心に響く。
同じような歌に「木綿のハンカチーフ」と言うのがある。
田舎で愛し合っていた恋人同志。
男性のほうが、「東へと向かう列車で」東京に出てしまう。
その手紙のやりとりがそのまま歌詞になっている(昔はメールなんてなかった)
残された恋人(女子)は、一貫して「都会の絵の具に染まらないで帰って」と言い続ける。
でも、彼はすこしずつ変わっていく。
都会の絵の具に染まってしまうのだ。
「見違えるようなスーツ着た僕の写真をみておくれ」と書けば
「草に寝転ぶあなたが好きだったの」と言う。
「都会で流行りの指輪を贈るよ、君に似合うはずだ」と書けば
「星のダイヤも海に眠る真珠も きっとあなたのキスほどきらめくものないもの」と言う。
まあ、男子として、ここまで否定され続けるのもなんだし、
今は、「バカだね、指輪ぐらい喜んでもらっておいてやんなよ」なんて思うが
当時の幼い私はこの歌を聴いて、やきもきしていた。
最後に彼は「変わっていく僕を許して。もう帰れない」と言う。
そこで、彼女は最初で最後のおねだりをするのだ。
「涙ふく木綿のハンカチーフください」と。
くぅ~。いい歌である。
なんで、木綿なんだ、絹ぐらいもらっておけ、と今は言いたい。
あの頃、本気でジャッキーが変わっていくことを心配し、
木綿のハンカチーフの男子をバカな男だと罵った私が、
皮肉にも、「東へと向かう」飛行機にのって、ここに居る。
私は変わってないだろうか。
私の心の中のパフをなくしてないだろうか。
当たり前のことを忘れていないだろうか・・・などとこの曲を思うたびに考える。
木綿のハンカチーフの彼は、自分のことを「変わっていく僕を許して」と言っている。
変わっていくことを自覚しているのだ。
都会には、そういう恐ろしさがあると、私も思う。
たぶん、私も何かしら変わってしまっていると思う。
それは悪いことばかりでもないと思うし、良いことばかりでもない。
でも、この二つの曲を聴いたときに感じる
鼻の奥がツンとするような切なさは、大切にしたいなと思う。
うん!
まだそう感じれる自分を大事にしたい。
