『バンジャマン・コンスタン』 ツヴェタン・トドロフ
バンジャマン・コンスタン―民主主義への情熱 (叢書・ウニベルシタス)/法政大学出版局¥2,808Amazon.co.jp実は最近ちょっと困ったことがある、読む本がなくなってきた。というか、岩波文庫赤帯と、ちくま学芸文庫を基本全部読む方針(全部読むとは言っていない)でいたわけだが、読みたいものはあらかた読み切った感がある。なので、困ったなあと思って、平凡社ライブラリーとか、他の出版社の本も漁ってみるわけだけれども、なんだか当たり外れが多すぎて下らない本を読んでしまうことが多くなってきた。 そこで、目に付いたのが、法政大学出版局の叢書・ウニベルシタス。何冊かしか読んだことはないけれども、どれもそれなりに学術的価値は高いし、(読むの大変だけれども)はずれを引くことはまずないだろうと判断。しかも、ついこの間、この叢書は1000冊を突破。しばらくは食い逸れることもなさそうだ。ただこれ、図書館ではそれぞれの分野ごとに分散して置かれているから、物理的に眺めることが難しい。(それはともかく、フーコーの『狂気の歴史』なんかも精神医学のコーナーに並ぶから、普段いかないところに行かないとない)とはいえ、900番台、700番台あたりのウニベルシタスを片付けて行けばまあ間違いはないだろう。 この『バンジャマン・コンスタン』はツヴェタン・トドロフの本、この前同じくウニベルシタスでのゴヤに関する本読んだ。それよりはこっちの方が面白かった。というのも、誰もがある程度知っている画家について新たな視点から書くよりも、ほとんどその実体がしられていない「コンスタン」について書いてくれるほうが、こちらとしては勉強になるから。 コンスタンという作家は19世紀初頭の人、『アドルフ』という恋愛小説(ちょう面白い、どろどろ)の著者として有名、というか、そのことしか基本知られていない。ところが、このコンスタン、トドロフに言わせればモンテスキューやルソーの政治思想をフランス革命後に総合した、いわば民主主義の父とも言えるほどの超超重要人物であるらしい、ほんまかよ。 彼の著作はあまりに公汎にわたることもあり、その全貌を捉えるのが難しい、トドロフはかなり分かりやすく一から十まで解説してくれる。 コンスタンの思想は、どれもこれも、いたってまっとうで、ときに当たり前過ぎるようにすら思えるかもしれない。そのせいで、もっと目立つ思想家のかげに隠れ続けてきた。しかし、それがあまりに平凡に見えるのは、コンスタンの思想が完全に現代社会に受容されているからであるからかもしれない。(もっとも、彼自身が言うように、思想家が世界を動かすのではなく、いかなる人もその時代の社会のなかで生きている以上、それに規定されたものをしゃべらされているだけでもあるのだが。) 個人的には、彼の宗教に対するスタンスが非常に進歩的に思われる。19世紀末には無神論と、それへの反発としてのキリスト教への回帰が流行るわけだが、コンスタンはそれらの過激な運動を100年近くも前に乗り越えているようにみえる。この世の後には何もないことを確信し、この世に満足しているので他の世界がないことを喜ぶような、あの大胆な哲学者では私はもはやない。私の著作は、ベーコンが言ったことの奇妙な証明となっている。すなわち多少の知識は無神論に導くが、より多くの知識は宗教へと導く。(146)一見して分かるとおり、これパスカルの有名な三段論法そのままでもある。かれは「不信仰であるためには、あまりに懐疑論者であり過ぎる」のだ!ただコンスタンは従来のキリスト者からしてもかなり危険な存在かもしれない。彼が主張するのは、政治的な領域と私的な領域を画然と分離すること(ちなみに古代ギリシャ、ローマ人には後者の領域はなんと存在しなかった!だからこそ、アガメムノンの娘も殺されたのか)、そして宗教を私的な領域の内部にとどめ、逆に政治的干渉を決して許さないこと。現代の西欧社会みたいだ。18世紀のフランス人にとって、宗教に関わる内乱というものへの恐怖、トラウマがかなり大きなものがある。それを回避することを目指しているようだ。 こんなように、中庸の精神とでもいうのか、いちいちまっとうなことをコンスタンはいう、だからこそ、彼の泥沼のようなスタール夫人との関係を垣間見ることが出来る『アドルフ』の恋愛論の教科書としての輝きもまた目立ってくるのだろう。