私と両親は価値観がまるで合わない。
両親は、
私が命懸けでやっている音楽を
ただの遊びだ、と絶対に認めようとしない。
オープンして10年になる主人の店には
一度も食べに来たことがない。
とにかく、
私たち夫婦の生き方が
気に食わないのです。
私たちはもう50代です。
自分の大切にしているもの、考え、信念があり、
経済的に裕福ではないけれど
心はとても豊かで、
お互いに助け合い、
周りにいる友人や関わる人たちに支えられて
楽しく過ごしています。
両親はもう80代。
すっかり歳をとりました。
残りの人生を
笑顔で楽しく過ごしてほしい。
両親がどう生きようと
その生き方を尊重したいと思う。
私の生き方を認めてもらわなくていいし、
お互いに依存せず、
それぞれ干渉せずに生きることが
望ましいと思う。
先日、数年ぶりに両親から電話があった。
いつも父の携帯電話で父がかけてくるのだけど、
今回は母がかけてきた。
というのも、その数年前の電話で
こちらのことを理解しようとしない父と
言い合いになったので、
父はもう私と話したくないのだと思いました。
母「庭で育てた玉葱がたくさん出来たから
いらない?」
やっぱり。
母は私のことが気になって仕方がないのだと感じました。
ずっと会わないでいることは不自然なので、
玉葱をもらいに行ってきました。
不思議なのですが
ほんの数年前までは
両親に会うのも話すのも
億劫で仕方がなかったのに、
そんな感情がなくなっていて、
嬉しそうだけど私の顔色を見ながら話す母も、
気まずくて目を合わせてくれない父も、
なんだか愛おしく感じたのです。
どちらにしても、
私のことを大切に思うからこその感情でしょう。
有り難いことです。
両親が産んでくれたから私が存在して、
苦しい中でも借金までして音大に通わせてくれた。
感謝でしかない。
暴力や心無い言葉、
死を考えるほど辛いことも散々あったけど、
両親には両親の生い立ちからくる考えや想いがあったのだろうと、
今は許せるようになった。
何でもかんでも受け入れることは出来ないけど、
何でもかんでもつっぱねるのも
それはそれで意識している、
つまり執着していることになるし、
カルマを積んでしまう。
とにかく、
両親の存在が無ければ
今幸せに過ごしている私も無い。
庭で育てた玉葱と
芍薬の花をもらいました。
最後に母が言った
「来てくれてありがとうね。」
その言葉に切なさが込み上げてきて
心の奥の何かが解けたような気がしました。
そして、別れてから涙がボロボロ溢れました。
私を愛してくれて
ありがとう。
残りの人生が
幸せな日々になるよう祈ってるね。
