近日中に、市川市役所福祉課生活支援課(生活保護担当)の畠山氏に、名古屋の官公庁のPC設置案件で、私は官公庁の仕事は嫌だったので、行かなかったけど、まだ新しいPCが余ってた様子をその仕事に入った人が言っていた事を、例に出して、無駄なお金ばっかりは遣って!!!という主旨の事を言って怒っていた録音もupします!!!
(一銭も振込みされてないのに、廃止にもされてなくて国民健康保険にも入れないのかと思ったら、市川市役所は荒川区役所と違って、国民健康保険には住民登録できない者は、他自治体で住民票閲覧制限かけた危険な親がいる人間でも、その危険を排除する事のサポートはしないで、住民登録ないと国民健康保険には入る事は罷りならない、という市民課主管増田氏がいる市川市役所での生活保護申請を巡っての話です。)
あと、良い知らせと微妙な虚無的なお知らせがあります。
やはりアメブロは虚無的か
商業主義的大人と言えば大人なのか・・・
行政書士の人複数から連絡があったが
アメブロのメッセージは微妙に虚無的だった。
私がコメントしたんだけど、それを消すという挨拶?だった。
まあ、自分のコメントをこっちに再掲載するのは良いと思う。
わざわざこの人をわかるようには、書かないけど
他にもアメブロ微妙だなと思うのは
向こうから何かになってた人(多分ツールで業者とまでは言わないけど普通にショップ)で、市川市出身だとわざわざメッセージに書いてあったが何とも微妙
ネットだとこういう距離感というのは、アリ、なのだろうけど、何とも言えない。
こういうの押し進めて行くと、自己愛性人格障害の人に言われてるような極度に他人の状況
に無関心な、実際の一般的社会ではそこまでが行ってない状況もみんなでやれば怖くない的に作り出されてしまうようで、怖いというか何とも微妙に虚無的というか、だと思った。
そして、皮肉な事には、311みたいな上からも言われてて、マスコミも厳かに扱うように、という対象の人々以外は、人の弱みや酷い目に遭った人というのは、強い力で【これは酷い事です!!!】と喧伝されない限り
優越感を伴う同情の対象でさえなく
共感はおろか
気の毒だでもなく
蔑み、侮蔑、嘲笑の対象やもっと積極的攻撃対象にさえする人々もいるだろう。
【他人】の距離とはそういう事だ。
しっかりした人も流動的な人もいる。
流動的な人々は、得てして【強い力】で言われると、弱者や被害者をネガティブに捉えてた部分があっても、急に洗脳されたように、厳かにお気持ち悼み入ったりする。
仏教では、人は六道輪廻を駆け巡ると言う。
人間には仏の顔もあり、また別の顔もあるという性質を言ったものではないかと思う。
これは、脳の構造からも説明すると、新皮質である大脳皮質と、旧皮質の大脳辺縁系所謂本能の性質の違いや活用の仕方の違いから来るものなのではないかとも思う。
どちらがどうだとも言えないし、大脳皮質を使ってるフリをして、一応使ってはいるけど、旧皮質の負の感情を満足させるため、その隠れ蓑にしているという事も考えられると思う。
六道輪廻からはちょっと意味が派生し過ぎたかな
他人の不幸は蜜の味と言っても
実際に 人は人を目の前にして、または知ってる人には、中々そうは思えなかったりもする。
そうじゃない人もいるかもしれないが、そういう人はいるだろう。というかそれが普通とされているだろう。
だけど、そういう所謂普通の善良な人でも直接の知り合いではないメディアで知った有名人著名人に対してだと、負の感情を抱く事もない事も無いのではないかと思える
持った所で、別に何もならないほど優位な立場の相手なのでという事もあるかもしれない。
でも、そういう負の感情の度合いが、本人の状態によって、違うのではないかと思う。
仏教ではなく、近代的心理学でも言われてる五大欲求が満たされている状態と、そうでない状態とでは、負の感情の持ち具合も違うのではないかとも言われていると思う。
しかし、五大欲求が満たされなくても、負の感情を持たない人もいるだろうし、その辺りが脳のどっちを活用するかに依ると思う。
でも、大脳皮質を使わせないで、五大欲求の方に引っ張って行こうとする力や、そっちに押し込もうとする力や、所謂貶める力もあるような気がする。
こういう色々な事を考えると
畠山氏に追い詰められ怒っている録音公開も
どういう意味があるだろうか
という気もするが・・・
アメブロではなく、別のブログや、もっと別の形式や別のメディアなら良いかもしれないのでそれも見当しよう。
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良い知らせについては、アメブロの虚無に触れてしまって
何となく今は書く気がしなくなって来た