受験期における不思議な感覚の正体が、最近ようやくロジックとして繋がってきた。

 

■ 降臨した「神の使徒」たち

 かつて自分たちと同じ泥(過酷な受験勉強)の中にいながら、見事に解脱(合格)し、向こう側の住人となった存在。志望校へ進学したOGたちを眺めるとき、受験生やその親は、彼女たちにそんな神聖な姿を重ねてしまう。

 

 我が家は日能研籍であったが、6年の後半は早稲田アカデミーが主催する難関校対策の「NN講座」にも参加していた。 忘れられないのは、12月のNNOPファイナルでの光景だ。NN講座を経由して同冠校の生徒となったOGたちが、なんと30〜40名ほど大挙して、後輩たちの応援に駆けつけてくれたのだ。

 

 それはまさに「神の使徒が降臨した」かのように、親の目には映った。

 

 ・ ありがたい

 

 ・ そして、あやかりたい

 

 

 

 そのとき、教壇の後ろで彼女たちを見つめていたNNの先生たちは、一体何を思っていたのだろうか。

 

 

「みんな美人になってしまったなぁ」

 

先生の一人は、そう言って目を細めておられた。

 


■ 決して門をくぐれない「永遠の門番」

 このおじさん先生たちだが、実は、受験生本人なんかよりも、その学校に対して狂気的なレベルで入れ込んでいる。

 

 聞けば、2月1日の夜には、凍える寒さの中、わざわざその学校の校舎の周りを徘徊し、「未明の何時くらいまで、学校関係者が採点・集計作業を実施しているのか」を外からチェックしたりしているという。データ収集という名の、合法的なストーカー行為である。それほどまでに、彼らはその学校を愛している。

 

 だが、悲しいかな、先生たちはどんなにその学校の問題を研究し、未知なる入試問題をすらすらと解くことができたとしても、年齢も、性別も、条件から外れているため、「絶対にその門をくぐり入学すること」はできない。 こんなに好きなのに、一生、片想い。

 

 それなのに、彼らは目の前の泥まみれの「青虫(生徒)」たちを必死に導き、自らの持てるすべての攻略法を伝授していく。 

 

 すると、ある日を境に、その青虫たちが急にサナギの殻を破り、美しい蝶になって、手元から一瞬で羽ばたいてゆく。まるで、かぐや姫が月へ還っていくかのように。

 


■ 暗闇の窓に見つめる「祈祷(きとう)」

 2月1日の夜、凍えるような寒さの中で先生たちが校舎の周りをうろつき、集計作業の明かりを見つめている理由。 

 

 

 それは、単なるマニアのデータ収集を超えた「祈祷(きとう)」にほかならない。

 

 彼らは、自分の頭脳のすべてを賭けて「今年の入試はこれを出す」「この対策で足りるはずだ」という仕様書を授業としてビルドしてきた。2月1日の夜、その答え合わせが、暗闇の中に浮かぶ学校の窓の中で行われているのだ。

 

「俺の教えたあの記述は、学校の先生方の心に届いているだろうか」

「あの青虫たちは、ちゃんと蝶になるためのサナギの殻を破れただろうか」

 

 明かりを見つめるおじさん先生たちの背中は、ストーカーというよりは、自分が天塩にかけた作品が神に受け入れられるかどうかを、じっと息を潜めて祈る姿。彼らは学校の中には入れられない。だからこそ、建物の「灯り」という唯一のインターフェースを通じて、その学校の神と対話しているのだ。

 

 

 そのエネルギーの一端は、NNOPの保護者説明会に参加すると、垣間見ることができる。

■ Nフレンズはスピリチュアルな行為

 昨日、志望校のグッズが「魔法の触媒」であると書いた。それと同じように、受験生の視点に立てば、志望校に進んだOGは「かつて自分たちと同じ泥の中にいながら、見事に解脱(合格)し、向こう側(神の側)の住人となった存在」とも言える。

 

 そう思うと、OGとは神の言葉を伝える「預言者」にも近い。その建付けで日能研における「Nフレンズ」というイベントを分析すると、自分が好む「宗派」に参拝し、神の神託を承るという、極めてスピリチュアルな行為に見えてくる。

 


■ 志望校選びの本質

 「どの学校に行きたいか」ではなく、「自分はどの宗教(学校)を信仰し、どの神(校風・教育理念)と一体化したいのか」。中学受験の志望校選び、特に「熱望校」というフェーズにおける本質は、まさに「宗派の選択」そのものと言えるだろう。


 パンフレットに書かれた偏差値や進学実績、通学時間といったスペックは、宗教でいえば単なる「寺院の設備や経典の厚さ」に過ぎない。受験生とその親が本当に惹かれているのは、その奥にある「教義(ドグマ)」と「特有の空気感(スピリチュアルなインフラ)」なのだ。

 


■ 女子名門校の宗派と教義

 女子難関校は、それぞれが独立した巨大な「一神教」であり、「深淵の宗派」といえる。そして当然のように、それぞれ独自の教義を持っている。

 

・桜蔭教 : 神は細部に宿る、知の最高峰「絶対的ストイシズム派」

 天賦の才に甘んじるな。

 勤勉と、規律と、徹底的な自己研鑽によってのみ、魂は至高の領域へと救済される。

 学ぶことは、人間としての崇高な義務である

 

JG教   : 絶対的自由と自己責任の「プロテスタント改革派」

 神の前にはみな平等であり、制服という偶像(カタチ)に囚われるな。

 自立し、自分の頭で考え、自分の責任で行動せよ

 

雙葉教 : 伝統と規律、洗練された品格の「カトリック修道会派」

  徳の中に、最高の知性を宿らせよ。美しく、気高く、社会の礎となる祈り人であれ

 

豊島岡教: 努力と自己超越、運命を切り拓く「精進・実践派」 

 天分は努力にあり。毎朝の『運針』によって心を研ぎ澄まし、自らの限界を超えてゆけ

 

・渋渋教 : 世界をハックせよ、新時代の「リベラル・グローバリズム派」 

 自調自考。固定観念の檻から脱出し、境界線(ボーダー)を超えて世界と接続せよ

 

・フェリス教:気高く、そして美しく。他者のために灯りをともす「リベラル・フェミニズム派」 

 For Others。神から与えられた己の才能を、決して私利私欲のために使うな。

 自立した一人の女性として、暗闇の世を照らす光となれ

 


■ 受験とは「改宗」と「聖戦」

 このように各校が独自の「神」を戴いているからこそ、受験期の家庭内では、単なる勉強を超えた「信仰のドラマ」が起きる。

 

  • 「熱望」という名の心酔:  5年生や6年生の女子が「どうしてもあの学校がいい!」「絶対にフェリスじゃなきゃ嫌だ!」と涙を流すのは、「あの学校の方が打率(進学実績)が良いから」ではない。「私はあの神の教え(校風)を信仰している。あの宗派の細胞にならないと、私の魂は救われない(=本当の私になれない)」という、極限の魂の叫びなのだ。

  • 不合格という名の「試練」:  先日、日能研に激励に訪れた、浦和明の星に進学したOGたち。彼女たちはかつて対策の「日特」で、最後まで第一志望校の神を信仰して戦った。結果としてそこでの縁は築かれなかったが、それは決して信仰が否定されたわけではない。宗教において「神の配剤」と呼ばれるように、明の星という別の美しい聖地(カトリックの慈愛のインフラ)へ導かれ、そこでいま「新しい蝶」として輝いている。彼女たちが現役生に語った言葉は、後輩へのアドバイスであると同時に、「どこの聖地に辿り着こうとも、あの狂信の時代を戦い抜いた私たちは、等しく救われ、こんなに美しくなれるんだよ」という、極上の福音(教え)だったわけだ。

 


■ 巡礼の旅の途中で

 世の中の数多の学校が「うちは英語教育に力を入れています」とスペックによる機能訴求で生徒を勧誘する中、御三家をはじめとする熱望校は、完全なブランド宗教として君臨している。

 

 中学受験という旅路は、まさに子供たちが「自分の魂が最も輝く宗派」を探し出す、神聖な巡礼の旅なのかもしれない。日能研は、それを 「On the Road(オン・ザ・ロード)」 と呼んでいる。

 

 昨日、下の子が日能研から帰ってくるなり、「今日、M2クラスの先輩たちが遊びに来てくれたんだよ」と興奮気味に教えてくれた。この春に日能研を卒業し、見事に浦和明の星へと進学した女子生徒3名が、制服で休み時間に後輩たちの激励に来てくれたのだという。姉のM2クラスの戦友たちだ。

 

 これを聞き「うらやましい、私も日能研に行って話をしたい」と言い出したが、制服がないため、私服で行っても受験生に対する「その学校らしさ(信憑性)」がやや薄いという大人の事情もあるのだろう。「日能研側も色々事情があるでしょ。呼ばれた時に行けばいいんじゃない」と、やんわり伝えておいた。

 


■ 問題予想のためのデータ収集

 一方、日能研からは「中学初の中間テストが終わったら、それを見せに来てね(来てもいいよ)」と言われている。これはおそらく娘の点数などは1ミリも気にしておらず、単なるデータ収集と考えている。入試問題を作っている陣営と、入学後の最初の中間テストを作っている陣営は同じなので、進学先校の

  • 来年以降の問題予想のため

  • 重視している記述のトレンドが知りたい

のであろう。

 


■ 訪問時の手土産

 で、せっかく校舎に行くなら、手ぶらで行くのもアレなので、進学先の購買で売っている「校章のマーク入りの、生徒しか買えない限定文房具」を手土産に持たせよう考えている。


 これ、たかだが文房具なんですが、たとえば学校見学でもらった豊島岡とか吉祥女子とかのクリアファイルとか大妻や鴎友のシャーペンは、5~6年生だった当時はもちろん、不思議なんですが進学した今であっても、それらのグッズは貴重なメモリアルとして輝き続けている。

 


■ 志望校のグッズの魔力

 なぜ、志望校のグッズは特別なのか・・・。

 

 中学受験を経験した親子さんなら体感していただけると想像するが、単なる「お土産」や「文房具」という物理的な枠組みを完全に超越していますよね。いわば、その志望校との間の絆というか、その志望校の細胞の一部を所有している(未来の形見?)みたいな感覚に近いかと。

 

 受験生にとって、それは単なるシャーペンやファイル入れではなくて「志望校の空気、志望校の知性、志望校のDNAが染み込んだレリック」。それを筆箱に入れて使用するということは、「志望校の細胞」を自分の日常生活に移植することであり、持つだけで「すでに半分、志望校とどこかで繋がっている」という安心感と特別感を生み出すのかなと。

 


■ 【絆の可視化】学校に片想いしている

 受験生にとって、いや、私にとって、娘の2/1校は、憧れであり心酔・熱望の対象であった。志望校選びは「ビジネスの選択」ではなく、「人生初の烈烈たる片想い(恋)」に近いのかなと。「あの制服を着たい(着て欲しい)」「あの学校の門の向こう側にいって欲しい」という恋慕。

 

 しかし、学校という巨大な建造物や制度相手では、抱きしめることも、手を繋ぐこともできない。 そこで、ロゴ入りの文房具が「恋人からのプレゼント(ペアリング)」のような意味合いを持つのかなと。他校に進学した(私じゃなくて娘がですが)今であっても、当時のあの「命がけで駆け抜けた時代のメモリアル」として、受験校のグッズが今なお輝いて見えるのです。

 


■ 誰かのロイヤリティインフラになれば

 高級ブランドが、顧客に「いつかは本物のバッグ(合格)を買わせる」ために、まずは手の届く香水やキーホルダー(文房具)を売って、ブランドのDNAを生活に馴染ませる戦略があります。一度その細胞を受け入れた受験生は、拒絶反応を起こさないために、「そのブランドにふさわしい自分になろう」と、自ら細胞を増殖(学力を爆上げ)させていくでしょう。

 娘が渡す「文房具」が日能研後輩女子たちにとって、娘の時と同じように文房具の枠を超えたモチベーションを爆上する『魔法の触媒』として機能し、少しでも誰かの役に立てればと考えている。