日本の名誉を守った教授と日本の歴史を書き換え難民支援する教授 | 今日ボクが見た風景Ⅲ  物置部屋

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日本語ペラペラで驚いた

ラムライザー教授に感謝申し上げます。素晴らしい教授です。

 

「だって何も間違っていないから」

 こんな方に日本の教鞭を執って頂きたい。

 

 

「だって日本の歴史は僕がつくるから」

日本大学はこんなのやとってないで考えろよ

 

 

https://note.com/just_eel601/n/n34331...

 

 

 

 

 

 

よく日本に居れるよな

 

《支援者インタビュー》 

難民として逃れた祖母の存在を胸にー

本能寺の変にいた「アフリカン・サムライ」から日本史を描く

:ロックリー・トーマスさん

 

難民支援協会の活動は、様々な背景から難民に思いを寄せ、関心を持ち続けてくださる方々に支えられています。寄付者として難民支援協会(JAR)の年次報告書にメッセージを寄せてくださった、ロックリー・トーマスさんもその一人です。
日本で10年以上教壇に立ち、国際的視野に立った日本史を教えるイギリス出身のロックリーさんに、ご自身の研究や難民に関心を寄せてくださった背景について、お話を伺いました。
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――ロックリーさんにJARの事務所で初めてお会いした時、難民の方への支援物資として、たくさんの食料品などと一緒に持ってきてくださったのが、ご著書の『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』『Yasuke: The true story of the legendary African Samurai)』でした。戦国時代に織田信長に仕えたアフリカ人の侍「弥助」に関する著作で、「難民の人にも読んでほしい。きっと勇気をもらえるから」と言ってくださいました。

あの本能寺の変に黒人の侍がいたと聞くと驚かれる方が多いのですが、1579年にイエズス会宣教師ヴァリニャーノの護衛として来日し、信長に謁見した後その家臣となったアフリカ人の弥助という人物については、存在を裏づける史料が残っています。10年以上前に初めて弥助について知ってから、この人物についてぜひ研究したいと思い、著作にまとめました。
弥助は信長のもとで通訳や海外事情を伝える役目を果たしただけでなく、日常的には信長の前で力士と相撲をとるなど、エンターテイメントも提供していたようです。身長は185㎝を超え、容姿端麗で賢い人物だったと伝えられています。

 


――ご著書では、当時の人々が弥助の姿を見て驚く様子が描かれていました。

弥助を見物しようとして人が押し寄せ、死者が出たという記録があります。当時の人々にとってアフリカ人の弥助は「大黒天」、神のような存在と受け止められたのでしょう。
一方で、元々奴隷の身分で、宣教師から信長に献上された弥助が信長に認められ、昇進していったのは、武士として強かったというだけでなく、信長が求める海外の事情に通じていたことがあります。日本語もできたという記録があり、来日前に滞在していたマカオで学んでいた可能性が高いです。1582年に本能寺の変で信長が亡くなるまでの1年3か月あまり、側近として仕えました。
弥助は本能寺の変を信長と共に戦い生き延びますが、驚くことに、その後逃げることも可能な状況だったにもかかわらず、危険を冒して信長の嫡子である織田信忠の元に駆けつけ、明智光秀との戦いに加わっています。このことから、弥助は信長の首を信忠に渡しに行ったのではという伝説すら生まれています。当時の日本がどのように動いているか的確に把握していた、たいへん優秀な人物だったのだろうと思います。
信忠が敗北した後、弥助は明智軍に投降していますが、その後どのような人生を送ったかは、史料が十分残っておらず分かっていません。


――弥助は大河ドラマやゲームなどのフィクションにはキャラクターとして登場していますが、学術的な研究はこれまで少なかったようですね。ロックリーさんの著作では、これまでほとんど研究がなかった日本にたどり着くまでの弥助の足取りについても仮説を立て、アフリカから様々な土地を経由したのち宣教師の護衛として日本にたどりついた人物として、弥助を描いています。
最近まで、歴史は国と結びつけられて語られてきました。たとえば幕末に活躍したトマス・グラバーは、日本史上とても重要な役割を果たしていますが、イギリス人なので日本史の中ではそれほど大きく取り上げられません。教科書に載っている歴史とは「国の歴史」で、その結果、弥助のような人は忘れられやすい存在になっていたと言えます。弥助はどこの国の出身かも定まらなかったため、歴史研究の隙間からこぼれ落ちており、アフリカでもその存在は知られていません。
弥助が来日した16世紀は国際的に大規模な人の移動が起こっていた時代で、日本国内も戦国時代という社会的流動性が高まった時期にありました。弥助以外にも1630頃年までに数百人のアフリカ人が日本に滞在していたと考えられています。弥助はその時代に地球を移動した、取るに足らない数多くの人々の1人なのです。
私が最初に弥助についての研究をインターネット上に発表した時、その人生に惹きつけられたというたくさんの反響がありました。弥助は宣教師の従者であり、自由な身分ではありませんでしたが、弥助のストーリーには、強制移住させられた人々にも一人ひとりの物語があることを思い出させる要素が詰まっています。

 

――ロックリーさんご自身は、日本で教鞭を取られて10年以上になるそうですね。

最初の来日は2000年で、ALT(外国語指導助手)として鳥取の小学校で2年間働きました。日本に来た理由は特に何かあったわけではなく、冒険をしたいという気持ちから。初めての来日で、日本語も初めてでした。鳥取の本当に田舎の町で、外国人もほとんどおらず、必要に迫られて日本語はすぐに覚えられました。周りの人たちがとてもあたたかく、この時の経験が、後に弥助を知った時に強く惹かれたこととつながっていると思います。


――ご専門である外国語の学習法「内容言語統合型学習」とはどのようなものでしょうか。

ある教科あるいは時事問題などのトピックと外国語の両方をあわせて教育する学習方法です。単に英語そのものを学ぶだけでなく、英語を通じて何かを学ぶというやり方のほうが、生徒のモチベーションになります。そのためにどのテーマがよいか考えたことをきっかけに、歴史を研究することにしました。
日本では鎖国の歴史が強調され、外国人に対して閉鎖的な土壌があると考えられがちですが、日本の歴史を広く検証すると、むしろ国際的にオープンだったと考えています。英語教育と共に、日本人の国際的志向性についても研究しており、歴史認識が変わることで国際的志向が高まるのではと考えています。


――ロックリーさんが難民支援に関心をお持ちになったきっかけについて、教えてください。

難民支援に関心を持った背景には、自分の家族の経歴が影響していると思います。私はイギリス出身ですが、祖母はドイツ出身で、第二次世界大戦中の1938年、「水晶の夜」(※注)の後に難民としてドイツからイギリスに逃れました。

 

祖母の父親は元々ユダヤ教徒でしたが、第一次大戦直前にキリスト教に改宗しており、祖母の母は元々キリスト教でした。しかし、一家は迫害の対象になりました。祖母と曾祖母はイギリスに逃れましたが、男性は受け入れを許されなかったため、曾祖父はいったんアメリカに逃れ、戦後イギリスへ渡って家族と再会しました。
祖母たちは逃れた先のイギリスで、JARのような民間の難民支援団体から支援を受けました。教会からも支援を受け、難民の方向けにピクニックなどが行われた様子も写真に残っています。同様に逃れられたのはたった数百人だけだったそうです。
戦時中のイギリスでは、敵国ドイツの人間として、冷たい扱いを受けることもあったと聞いています。当時のユダヤ人は、上海や日本にも逃れていました。日本に住むようになって、日本に逃れてきた難民やJARの活動を知った時、応援したいと思いました。

 

――最後に、ロックリーさんにとって歴史とは何でしょうか。


現代の世界を理解するには、歴史の理解が必要です。歴史を知らないと、間違いを繰り返すことになります。逆に歴史を知れば、よい将来を知ることができるのではないかと思います。
弥助という人物の研究からは、奴隷の歴史や海上の歴史がわかります。1人から得られることは大きい。歴史の見方、そして現代世界の見方が変わると思います。

 

インタビューを終えて

難民として逃れた経験のあるお祖母さまを持ち、16世紀に日本にやってきたアフリカン・サムライ弥助を日本で研究されているロックリーさん。歴史を広い視野から見た時に初めてわかる発見に満ちたお話を聞き、JARを支えてくださっていることを、あらためてありがたく感じました。
私たちが生きているのは多くの難民が生まれ、はるか遠くまで逃れざるを得ない時代ですが、なかなかその認識が浸透せず、日本で難民支援をしていると言うと、なぜ日本に難民がと驚かれることも少なくありません。しかし、弥助の物語に勇気づけられた多くの人々からメッセージが寄せられたというお話には、故郷を離れ移動する人々への時代を越えた共感があるのではと思いました。
弥助の物語はハリウッドで映画化も控えているとのこと。映画が公開された時、彼の物語はどのように観られるのか、楽しみにしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず鳥取が弥助wikiの編集に手を出したのが2012年からでその後wikiから利益相反で警告を受けてるのも確認しました
そのほか鳥取城や日本の売春などのwikiの編集もしていたようです

 

 

 

 

 

ロックリーは日本の教科書とブリタニカ百科事典まで改ざんしてましたよ、

奴隷制度は日本がはじめたとか言われてたし、ポリコレ側は、

責任をとって黒人移民を入れねばならないと言い出してる、

日大は責任を取らないといけないし、外交問題でいいよ

 

突き詰めると外務省あたりに行き着くのかもしれません

 

 

 

 

 

 

アサシン・クリード・シャドウズの問題、いつか鎮静化すれば良いと思っていたが、民が暴徒化しており、お気楽なパブリックヒストリアンたちは口を噤んでいるようなので、Xなるものを稼働させることにした。時々呟く。

 

とはいえ、ゲーム会社が無反応だからと言って、怒りを個人に向けるのは、間違っている。UBI社は、ロックリー氏が歴史考証したとは、ひとことも言っていない。

 

 

 

 

本で発売されて、諸マスメディアが取り上げ、アニメになり、ハリウッド映画にもなるという話が出て数年過ぎたが。今更騒ぐのは何ゆえか?そのゲームにいくら国際的な影響力があろうとも、海外のゲームプレイヤーが「史実だ」と思ってプレイする人がいたとして「それってあなたの問題ですよね」で済む。

 

私が興味深いと思うのは、ゲームによって、はじめて「歴史」に目覚める若者が多いということだが。

 

「ゲームの設定」と「史実」が混同されるかもしれないと今回騒いでいる人々が、正気なのかどうかは興味ある。歴史が「自分事」として共有されるために、フィクションの力が必要だとしたら、歴史学者は前に出ないで、フィクションの歴史考証だけやってればいいよね。

 

これだけ「歴史修正主義」って叫ぶ人が出てきてるのに(笑)、右系論壇が沈黙しているのは、さすがにこの問題に関わったら、常識を疑われると認識できているのだろう。

 

に自分で書き込んだのは今日初めてだが。本件に関するTwitter分析は1か月以上ずっとしていた。今日出てきたのは、私の編著を誹謗中傷する人が出てきたため。教科書と一般書の区別もつかないらしい。

 

学術的な見解の相違があるからといって、人格否定は許されないことです。今、批判の運動をされている方々、もしあなた自身や自分の親や子ども、兄弟姉妹が同じ立場に置かれたら、どのような毎日を送ることになるか、考えてみませんか?この問題はあなたにとって、本当にそれほど大事なことでしょうか?

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

ゲームの最新の文化戦争は、

日本の黒侍である弥助をターゲットにしています

 

何世紀にもわたって、戦争で荒廃した日本の主要な大名の軌道に入ったアフリカ人奴隷は、興味深い歴史の一口でした。先週の時点で、彼はいわゆる文化戦争の最新の触媒となった。
5月15日、デベロッパーのUbisoft Quebecは、戦国時代(1482-1573年)を舞台にした長期にわたるアクションアドベンチャーシリーズの新章である「アサシン クリード シャドウズ」を発表しました。アサシン クリード フランチャイズに共通するように、プレイヤーは主人公(シャドウズでは、これは女性忍者のナオエ)を操作し、通常はターゲットを暴力的に排除することで最高潮に達するステルスミッションを通じて行動します。少し離れて、プレイヤーはイタリアのイエズス会の宣教師によって日本に連れてこられ、武将の織田信長(1534-1582)の信頼を得た実在のアフリカ人奴隷に基づいたキャラクターである弥助も操作します。

多くのゲーマーにとって、Ubisoftの発表は、日本初の外国人侍の称号を強く主張する、十分に文書化された歴史上の人物である弥助を初めて紹介するものでした。しかし、声高なマイノリティにとっては、封建時代の日本を舞台にしたゲームの黒人の主人公は、戦争への呼びかけでした。

 

X(旧Twitter)の批評家は、弥助は戦士だったが、本当の意味で侍になったわけではないと主張した。Redditでは、信長が黒人に侍の地位を与えたとしたら、それは冗談でしかないと主張する人もいれば、YouTubeでは、クリエイターがUbisoftを激しく非難し、ゲーマーが「目覚めた弥助」を一斉に拒否すると主張しました。YasukeのWikipediaページは現在ロックされており、非登録ユーザーまたは新規登録ユーザーは編集できません。

日本大学教授で『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』の著者であるトーマス・ロックリー氏にとって、この弥助のホットテイクの氾濫は残念なことだ。

 

「私には思えるのは、日本の歴史について何も知らない人々、ほとんどの場合、日本について何も知らない人々、そして彼らが話している日本語や用語についても何も知らない人々です。突然、彼らはすべてを知っているのです」とロックリー氏はジャパンタイムズに語っています。

 

日本や西洋など、さまざまな文化の歴史を研究することは、人々が一対一での比較を求めると問題になる可能性があります。中世ヨーロッパの戦士がひざまずき、剣で油を注ぎ、騎士として立ち上がる行為(それ自体が後の観察者の発明)は、戦国時代には同等のものはなかったとロックリーは説明します。何十もの交戦国が内戦に巻き込まれたこの国では、信長の後継者である豊臣秀吉が世襲の貴族以外の者による武器の所有を禁じ始めた1588年まで、「『武士』とそれ以外の者との間に明確な区別はなかった」。

したがって、侍であることは他の手段によって定義されました。弥助が武士としての権利、特権、責任を儀礼的に授けられていたかどうかはともかく、彼は「遠野」(文字通り「主」または「主人」)と呼ばれ、信長から俸給を受け、信長の腕を背負っていました。

 

「弥助が武士だったという紙切れはありません」とロックリーは言い、一部の批評家は単に歴史的記録をどう解釈すべきかを誤解しているだけだと指摘する。「しかし、他の誰かが侍だったという紙切れはありません。」

しかし、ロックリーにとって最も示唆に富んでいるのは、弥助の武士としての正真正性について疑問を呈した日本の著名な歴史家がいないということだ。

だからといって、歴史の研究が面倒でないわけではなく、弥助の物語を責任を持って語るには、現代において着実で慎重なアプローチが必要ですが、Ubisoftはそれをしないことをほぼ保証しています。

 

現代のゲーム開発の模範とはほど遠いUbisoftは、2000年代初頭の全盛期以来、品質が急激に低下する一方で、ペイ・トゥ・ウィンの仕組みを持つタイトルをますますリリースしています。一部のゲーマーは、これらの欠点を指摘することで弥助の「論争」のノイズを切り抜けようとし、Ubisoftがリリース後のエクスペリエンスから見出しをキャプチャできない可能性のあるゲームのエンゲージメントを促進するためにこれに賭けているとさえ主張しています。

特に、この弥助の話がゲーマーを説得し、有料コンテンツのコレクションであるアサシン クリード シャドウズ コレクターズ エディション、一般大衆の前の3日間の「早期アクセス」、その他の侍をテーマにしたチョッチケ - すべて279.99ドル(約44,000円)の低価格で手に入れることができます。

 

 

 

ウイキペディアは?

 

“Woke白人は日本にも黒人差別という「原罪」を植え付けたかったが、日本は歴史的に黒人との接点がなかったために、BLM運動も空振り。そこに浮上したのが弥助で、これを突破口にして「日本における黒人史」をでっち上げ、それを正史として世界に広めようというわけ

 

 

 

 

 

 

 

明らかに日本の中を改変改竄する事狙ってる政治的思想連中いますよね、背景

 

 

 

一般書籍扱いなんで止められないんですよね

教科書も出してる出版社から、こんな装丁で出てるのがナカナカ悪質。 

このつなぐ世界史の3冊目が「SDGsの歴史的文脈」とか言う副題ですから、

そう言う方面の思想が強い出版社なんじゃないでしょうか?

 

 

 

根拠ない妄想だらけで、ロックリーの歴史観は全て排除するべし。 

日本国内外で勘違いする人達を生みだし、意見の違いで争いが起きている。 

弥助は腫れ物になったのでもう触らない方がいい。

元々は白人の奴隷制度や信長の珍し物好きを紹介するエピソードだったのに、

ロックリーが面倒くさいキャラにした

 

 

一応論文でしょう。

ただし日大の内部雑誌みたいなもので、言うなれば同人誌。 

それなりの学会で発表されてなければ問題にすらならない。

だから歴史学者は問題にしない。

その違いに学者以外は気付きにくい。

そういうとこなんだよ。

 

 

 


 


 

 

 

企業や自治体を巻き込んだ偽史『江戸しぐさ』の悪夢が再び… 

道徳の教科書にも載って批判に文科省は

『礼儀を教える目的だから歴史の真偽は関係ない』 

弥助の場合、礼儀が『DEI』に差し替わることは充分に懸念されます

 

 

トーマス・ロックリーは、人々から批判を受けた後、

自身のフェイスブック・ページを削除した

 

 

 

不思議ですね。
ちょうど今年は、弥助とACSが発売されましたが、

これは基本的に10年近く前からイギリス人が製造したフィギュアです。
ブラックストーンは、女性(覚醒した心のウイルスに感染しやすい)を

対象としたマンガ出版の大部分を買収しました
日本は「人口減少」を装って約100万人を輸入すると発表
まるでグローバリストのオリガルヒが

次の犠牲者に向かっているかのようです。

 

 

 

歴史修正主義者の蛮行を甘く見てはいけない 

蟻の一穴で歴史や分化を蝕まれる 

 

https://change.org/p/

トーマスロックリー氏が広めた弥助に関する誤解の訂正を求める署名