予算委員会における集団的自衛権議論のご報告です | 大野もとひろオフィシャルブログ Powered by Ameba

予算委員会における集団的自衛権議論のご報告です

国会では、予算委員会の審議で政府との論戦が繰り広げられています。

会派の皆様のご理解を得て、5日並びに6日の両日、この予算委員会で質問に立たせていただきました。

5日の総理入り質疑では、ウクライナ情勢への我が国の対応、集団的自衛権および秘密保護法制について、6日の質疑では、雪害対策と政府の危機管理対応、円安とエネルギー、円安が政府予算に及ぼす影響等について質問させていただきました。ここでは、小生の質疑における集団的自衛権に関する部分を、若干の説明を付してご紹介させていただきたいと思います。詳細については、数日後に国会の会議録のページ(http://kokkai.ndl.go.jp/)から検索できますので、ご参照いただきたいと思います。

1時間以上を費やした集団的自衛権議論では、いくつかのことが明らかになり、また、総理の言質を取ることもできました。

明らかになった部分については、第一に、総理の言う憲法解釈とは、いわゆる「あてはめ」の変更ではなく、憲法そのものの解釈にかかわるものであることが明らかになりました。第二に、その解釈の対象は、自衛権の発動の三要件の内、国家の生存権について変更する必要があるかどうかについてであることがわかりました。

少しわかりにくいので、簡単にご説明させていただきます。第一の点は、総理の言う憲法解釈とは、憲法そのものの解釈の変更か、あるいは憲法が対象としているものが時代とともに変わったので、そのあてはめを変えることを意味しているか、という点についてです。これまで政府が唯一の憲法の解釈・運用の変更に当たると認めてきた憲法第66条第二項のいわゆる文民条項では、憲法の言う文民に自衛隊員は該当するとしてきた解釈が、文民ではなくなったという解釈の変更がありました。これは、自衛隊制度が定着してきた中でその性格が変化したので、憲法の精神そのものは変わらないが、あてはめが変わっただけだという学説があります。ところが、集団的自衛権の概念については、少なくともこの解釈が定着したとされる1981年以降変わっていないということなので、憲法そのものの解釈が変わることになるということが明らかになったのです。

第二の点は、集団的自衛権について、9条に関連して具体的にどの部分の解釈を変更するか、についてです。自衛権の行使に関しては、①わが国に対する急迫不正の侵害があること、②これを排除するために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、という行使のための三要件があります。これまでは、我が国に対する攻撃がないのに実力を行使する集団的自衛権は、①の急迫不正の侵害に当たらないので、③の必要最小限にとどまらず、行使できない、というのが政府の解釈でした。これに対し、安倍総理は、我が国に対する武力行使がなくとも、事実上我が国の生存権そのもののに大きな影響がある場合があるのではないか、そうだとすれば、この場合の実力の行使は、必要最小限の枠内にとどまるのではないか、という解釈の変更について検討するということが判明したのです。

さらに、総理は、10月25日の国会答弁、「たとえば、我が国に近くで武力攻撃が発生して集団的自衛権を行使している中において、攻撃をしかけた国に武器弾薬を供給しようとしている船舶を、米国からその船舶を止めてくれと言われても我が国は対応できない、それでいいのかどうかということですね」という答弁が誤りであったことを認めました。

私は、外務大臣と外務省に対し、憲法98条の国際法の尊重義務を確認し、国際法上の正当な根拠なきままの武力行使は国際法違反であるという言質を得た上で、次に、武力攻撃が発生して、米国が集団的自衛権を行使している状況、つまり、米国自身が攻撃を受けていないような状況では、米国に対する集団的自衛権の行使を認める国際法の規定はないと、国際司法裁判所の判決を示して指摘したのです。当初、安倍総理は私の指摘を理解できていないようでしたが、途中で理解すると、法制懇での例を紹介したにすぎないと言いわけをしました。その後、答弁を避けて法制局長官と外務省に振りましたが、両方とも責任をなすりつけたので、どっちの所管かしっかりしろと指摘され、外務省から国際法を順守するという答弁がありました。立ち行かなくなった総理は、答弁の時間がいつも長すぎると言われているので、米国に対する攻撃があるというつもりであったと、言い訳にすらならない抗弁をするに至ったのです。これに対し、私からは、総理という重い立場にある人の答弁には責任を持つべきであるし、集団的自衛権については精緻な議論を行うべきと言ってきたのは総理ご自身ではないか、と苦言を呈しました。

さらに、現在安保法制懇で議論され、北岡座長代理が5要件として述べているうちの3つの要件は国際法の集団的自衛権の要件にすぎず意味がないと指摘した上で、総理の適当で危うい上述の答弁を改めて指摘し、だからこそ閣議決定の前に、国会において国民の前で十分に議論を尽くすべきではないかと迫りました。

すると総理は、閣議決定前なので確定的な答弁はできないとしながらも、閣議決定する前の段階において、国会の決定に従い議論する、閉会中でも閉会中審査がある、と言明したのです。

上記の通り、5日の予算委員会審議は実り多いもので、小生の質問に対する総理の答弁は、翌日の新聞でも数多く紹介されました。総理の言う憲法の解釈が、憲法そのものの解釈に対するもので、その対象は国家の生存権についてであるということが明らかになり、また、総理の国際法に対する感覚の甘さが暴露され、さらには国会における閣議決定前の議論についても言質を取りました。安倍総理は日米同盟の重要性 ―もちろん、このことは極めて重要です― に気を取られるあまり、そもそも集団的自衛権が国際法の授権するところであるということをお忘れになる傾向が強いようです。

国の安全を守るために集団的自衛権の行使が必要であるか否か、という議論は私も必要だと思いますが、それは、国民的議論をないがしろにし、雑な説明でごり押しすることを容認するとは思えません。今後も、集団的自衛権議論にはしっかりと正面から向き合ってまいります。