日韓関係について(韓国大統領発言への感想に引き続き) | 大野もとひろオフィシャルブログ Powered by Ameba

日韓関係について(韓国大統領発言への感想に引き続き)

韓国のイミョンボク大統領による竹島訪問(違法入境ですが、ここでは報道に従い単に訪問と書く)および天皇陛下に対する発言については、すでにこのブログで書かせていただいた。


国際政治を語るとき、隣国との間には、一般論として様々な問題が存在する一方で、協力の余地も相対的に大きい。このような認識に立ち、不幸な歴史があろうが、領土問題があろうが、責任のある政府は国益を最大化する必要があるはずだ。政治家や政党の利益ゆえにポピュリズムを煽ることで国益を阻害し、第三国がほくそ笑むような状況を招くのは避けなければならない。


それにもかかわらず、責任ある政治家、いわんや大統領という、国の元首であり外国に対し国家を代表する(韓国憲法第66条)人物が無責任且つ非常識な言動を行っていることに、憤りを禁じ得ない。


韓国の立場に立って、国際政治上の常識に鑑みても、一連の大統領による言動を理解することは困難だ。たとえば、領土紛争に関して実効支配している方が騒ぎ立てることに利益はなく、静かに実効支配を続けて先占を既成事実化することが通常の手法のはずだ。しかしながら大統領という職責にある人物が問題の存在を国際社会に印象づけ、あるいはポピュリズムに走るとのイメージを与える手段を選択した。オリンピックという注目度の高い場所における選手の短慮も手伝い、大統領の言動によって、韓国の従来の立場を超えて、両国には領土問題が存在することが明白に知らしめられた。さらに、天皇陛下に対する発言はすでに述べているとおり失礼千万であるが、他の国においても国家元首に対する根拠無き誹謗がなんの相手国の反応をももたらさない例はない。それにもかかわらず、日本の反応は「考えていたよりも過剰」と政府高官が言うこと自体、あきれる。さらには、大統領の訪問でクローズアップされた直後のかかる非礼な発言を、国際社会は韓国に好ましい思いで聞けたであろうか。そして今回の総理親書の受け取り拒否。韓国は、儀礼が重視される国際社会のルールの基礎的な部分を踏み外す国であるとの印象を与えてしまった。韓国にとって、これら一連の動きはいかなる利益があったというのだろうか。


日本の立場に戻ろう。隣国との間には問題もあるが利益も共有できる基盤があるとの一般論に立ち戻れば、我が国の責任ある政府が採るべき手法は、韓国との関係をウイン・ウインに導くことである。しかしながら、現在のような手法を採る韓国と容易に共存できると考える方が難しい。そうであれば、我が国やこの地域にとって可能な限り望ましい方向に韓国政権、もしくは次の政権を導くための戦略を講じていくことが重要ではないだろうか。


たとえば現在採り上げられている問題について言えば、返信された親書はしっかりと受領し、その上で我が国の立場を国際社会に対し主張するべきである。たとえば、「正式な外交ルートにより聞いたわけではないが、報道では不法占拠という言葉を撤回すると求められた由であるが」と、韓国の非礼と対比されるような方法で我が方の主張を行うことは、少なくとも我が国は、外交上のルールに基づいた行動ができる国であるとの印象を与えるはずだ。いずれにせよ、子供のけんかレベルの行動に我が国がつきあう必要など無い。また、日韓通貨スワップ協定の見直しは、少なくとも外に見える形で検討を行うべきである。現在の韓国は感情に走っているが、そこで最も効果のある言語は「アメとムチ」つまり「ポジティヴ・サンクションとネガティヴ・サンクション」の差異である。韓国が考慮せざるを得ない問題を提起し、次の政権に対してはしっかりとした共存に向けたメッセージを送り、再び効果的な枠組みを相手に借りを作らせる手法で作り上げればよい。更に国際司法裁判所(ICJ)については、共同付託は難しいであろうが、今ひとつのICJの権能である法的見解を求める準備を進めることで、韓国に圧力を行使する方法も一案であろう。


ただし、外交は「毅然たる態度」や感情的な満足が目的化してはならない。特に隣国の場合には、毅然たる態度が国益にもたらすであろう損得、政治的なタイミングを計りながら、責任ある立場が求められることは言うまでもない。