終戦記念日に思う:戦没者追悼式と韓国大統領発言 | 大野もとひろオフィシャルブログ Powered by Ameba

終戦記念日に思う:戦没者追悼式と韓国大統領発言

今日15日、終戦記念日に開催された全国戦没者追悼式に参列してきた。今日の日に、改めて67年前に思いを馳せ、韓国大統領の発言を思い起こした。


式典には天皇皇后両陛下もご臨席された。黙祷が始まる前に供養の柱の前にお立ちになり、じっと見つめる両陛下は、どのようなことをお考えになっておられるのであろうと思った。黙祷の後、止むことのない報道陣のフラッシュの音が騒々しかったが、一言一句聞き逃すまいと耳を傾けた。天皇陛下は、この日を戦没者の追悼と平和への誓いの日と位置づけられた上で、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国のいっそうの発展を祈りますと述べられた。


終戦からすでに67年が過ぎ、風化しても仕方の無いかもしれない長い年月を経てもなお、我々は今日の日本の繁栄を見ることなくも礎となられた方々を悼み、平和を誓うことで、共有された国民の記憶を将来に伝えなければならないと考えてきたはずである。憎しみと戦いではなく、いかにして我が国、そして国際の平和を実現するかは、日本人に課せられた使命であろう。


このような中で、李明博韓国大統領が竹島を訪問し、天皇陛下の訪韓について挑発的で無礼な発言を行った。第二次大戦の際に両国間で不幸な事態が発生し、それに対する我が国の責任は否定できるものではない。しかしながら、この不幸な歴史を超えて両国政府が互いに国家を承認し、隣国として戦略的な関係を構築してきた事実もある中で、責任ある立場の人物による不遜な発言が両国にもたらすものが大きいとは決して思えない。


森本防衛大臣はこの発言を「韓国の内政上の要請」と見たようだが、年末に退陣する李明博大統領は、「内政上の要請」どころか「一身上の要請」から、日韓両国の高次の利益を無視し、韓国民のナショナリズムを煽り、パフォーマンスに走ったとの見方がある。このような見方の背景には、韓国の歴代大統領が退任後には厳しい運命を突きつけられた歴史があるようだ。たとえば、李承晩は不正選挙を指摘されて亡命、尹譜善は軍法会議で懲役3年、朴正煕は暗殺され、全斗煥および盧泰愚は死刑判決、盧武鉉は在任中の汚職容疑で捜査を受けて自殺という具合である。李明博大統領はすでに実兄が収賄および政治資金規正法違反で逮捕され、大統領自身にも捜査の手が及ぶのではないかとの噂が拡がっている。このような中で、国民の支持をなりふり構わず得ようとしたのではないか、というのである。


このような見方が事実か否かは、不明である。しかしながら現前とした事実は、現職の大統領によるこのような発言やパフォーマンスが日韓関係を歪め、次の大統領の政策にも少なからず影響を与えかねないということである。


我が国は終戦に際して、憎しみの過去から脱却し平和への誓いを新たにした。互いに憎しみ合っても、日韓が隣国同志であり、共有できる利益も相反する利害も大きいという現実は変わらない。日韓ともに政治家が、票や保身のためにパフォーマンスに徹するのではなく、高次の利益を見据える責任ある政策を実施していく必要がある。平和への誓いは、犠牲となられた方々に対する責任でもある。この日を改めて、平和への一歩を築く日とし、相互に隣国が認め合えるきっかけとすることを提案したい。