リビアの政権転覆への動きに思う | 大野もとひろオフィシャルブログ Powered by Ameba

リビアの政権転覆への動きに思う

リビアが決定的な局面を迎えているようだ。現時点では不透明な点も多いが、特殊な独裁制が倒され、また一つ中東で新たな政権が現れるようだ。



2009年末にカッザーフィ大佐の後継者が事実上、次男のセイフ・ル=イスラームに定められ、政治・資源・軍事の3つを独裁し、中東の独裁政権の特徴であるパトロン=クライアント関係の中でも、少数者に富や権力を配分するリビアのシステムは、暫く継続するかに見えた。しかしながら、20112月には反政府デモが発生し、「アラブの春」と呼ばれる大衆革命がリビアにも伝播した。



リビアの今回のケースは、いくつかの重要な視座を提供したように思われる。紙幅の関係もあるのですべてを記すことはできないが、その内のいくつかについて、とりあえずではあるが以下の通り述べておきたい。



第一は、「アラブの春」に多くの期待を抱いた者達の幻想に冷水が浴びせられたことである。テュニジア並びにエジプトにおける大衆革命は、ショート・メッセージに糾合された大衆の力が短期間で政権を引きずり下ろし、独裁的な指導者から民主的な方向へと政権を作り上げることを約束したかに見えた。特に、エジプトで政変が起これば、域内は大混乱に陥ると見られてきたにもかかわらず、その影響は比較的限定されたものにとどまった。民主主義的な視点から見れば、その政権の継続は好ましくないとしても、転覆がもたらすリスクよりもましとされてきた考えが否定されたようにも見えたのである。

しかしながら、我々が経験してきた歴史は、革命のコストが高いことを知らせてきた。中東における最近の例としては、イラクにおける政権転覆が米国にとって高くついたことが挙げられる。テュニジア並びにエジプトがもたらした楽観的な幻想に、リビア情勢は冷水を浴びせた。ベン・アリーやムバーラクといった相対的に独裁の度合いが弱い支配者ですら裁判にかけられ、惨めにさらされる状況を目の当たりにして、カッザーフィ大佐は、平和的に政権を降りる選択肢を放棄し、政権転覆のコストが高いことを自国民殺害という手法で示した。その一方でカッザーフィ大佐はアラブ連盟、アフリカ連合、イタリアや米国と入った多くの国際機関・国に対してメッセージを発し、政権転覆のハードルが高いことを示しながらも、安全な出国を図ってきたと見てきた。しかし、「アラブの春」の熱狂を見た各国の指導者たちにとって、外国の介入と見られかねない仲介のリスクは高いものであった。その結果、過去の革命と同様に、時間と生命がコストとして支払われることになった。



第二は、米国の力を中心としたパラダイムの転換が、中東でより明確に現れたことである。冷戦時代の米ソ対立時代の大国による直接介入が難しい時代が終わり、その直後には唯一の大国である米国の一極支配が強まった。しかし米国の力の衰えと共に対イラクや対イラン制裁はほころびを見せ始めたのだが、911を契機に米国の影響力を支えるモメンタムが拡大し、対アフガン・対イラク戦争が開始された。このモメンタムが失われるのにそう時間はかからず、中東情勢の流動化が始まり、さらに経済的な厳しさと合いまったこの時期に、アラブの春と呼ばれる大衆革命が伝播した。

このような中で、米国が目の敵にしてきたリビア政権が厳しい立場に追い込まれたわけだが、米国の覇権的な動きや米国中心の秩序は機能しなかった。現在も継続するアフガン並びにイラク駐留、国内の経済問題等もあり、オバマ政権はリビアへの武力介入に消極的で、よりリビアに直接的な利害を有するNATO所属の国に引きずられる形で4月に空爆に参加したが、それ以上直接介入する意思も能力も欠いていた。循環派遣論に従えば、覇権を有する国が衰えると、その同盟国に対し、覇権国が形成した秩序の肩代わりを求めるはずだが、頼るべきイスラエルはアラブの大衆革命に敵視されて動きが取れず、エジプトは政権そのものが倒れ、サウジアラビアも足下の火を消すために国内に富をばらまくのに精一杯であった。国連も非難以上に機能せず、リビアと直接の利害関係を有する大国の前に立ち往生するという、冷戦直後の一時期を除けば、見慣れた不機能共同体に立ち戻っていた。このように、リビアの問題は、内政のみならず中東と国際社会の動きの鏡にもなっていたのである。



第三は、リビアにおける統治の特殊性である。部族的で、人口が少なく、限られた都市に人口が集中し、石油による富を政権が一手に握りながらも、その富の恩恵を直接受け取るレシピアントが少ないこの国において、カッザーフィに集中する権力の度合いはきわめて強い。この政権が倒れるということは、①イラクやシリア、エジプトのように利権や権力が網の目のように練られているわけではないため、部族に配慮し、富の流れを明確にできれば、その後の社会的な混乱のファクターは数多いわけではない、②その一方で反体制派の連合である国民評議会には、カッザーフィ政権で「血で手を汚した者たち」が指導的で、リビアにおける旧政権の乗り越えられるべき「悪事」と「民主主義」の再定義が必要、③政権転覆までに時間を要したために、エジプトやテュニジアのケースと異なり、統治機構が破壊されており、政権のトップを変えるだけでは済まない、といった考慮すべき特殊要件が存在する。



これらに鑑みれば、我が国としては、国際的なパラダイムが変更されて二国間の利害関係がより重要視される現在の中東において、リビアの革命後の受け皿に対し、早急な国家承認を行うと同時に、可能な限り早期にプレゼンスを示すと同時に、旧政権と良好で、エネルギー分野にも食い込んでいた中国や旧宗主国のイタリアなどの動きをしっかりと見ていかなければならないと考えている。また、政権転覆への動きがより複雑且つ大きな影響を国際的に及ぼしかねないシリアへの影響についても、我が国として冷静に検討を重ねる必要があると考えている。