ひとりぼっちになっちゃった…

たった6年間で…

この日が来るのをずっと恐れていました。

令和元年に父を、令和3年には姉を、そして令和6年に母が逝ってしまった

どんな風になっても母に生きていて欲しかった

生きていてさえいてくれればそれで良かった

私のエゴです。


それにしても…覚悟はしていたつもりでしたが、イザとなると頭が真っ白になってしまい全くダメでした。

私がダメなのはわかってるんだけど、病院!急かしすぎじゃね?

何時?何時?ってタクシー飛ばして行ける距離じゃないんだからさ、めちゃくちゃ焦らされましたーアセアセ

その病院、霊安室がない?らしく、病院で身体を冷やせないから、早く葬儀社に迎えに来て欲しいって。

叔母が行ってくれた時も前日の病室のベッドに、そのままいたそうですふとん1ふとん3

先生が「大往生ですね」って言ってたそうです。

そして3人の看護師さんが葬儀社の車を見送ってくれたそうです。

葬儀社は実家近くのセレモニーホール。

近所の方は皆さんそこを利用しており、父が亡くなった時、母は当然そこで葬儀を行うものだと思っていたのですが、できなかったので、母の時は絶対そこにしよう!と姉と決めていました。

なので姉はそこの会員になっていました

しかし姉の死後たまにホールから郵便物が実家に届いていましたが放置していました。

本人は亡くなってるし、積立も滞ってる、積立金だってあてになる金額じゃないはず…そもそも姉の積立金の話しになると大嫌いな義兄と話さなきゃならないのかな?と思うと絶対イヤだ❌ってなってしまいました。

「会員様ですか?」と聞かれ「姉が会員だったと思いますが本人は亡くなってます」と伝えるとデータが確認できたので会員価格で出来ますとなった。

母が別の所で積み立てていたものを解約して、そっくりそのまま今回のホールに移す約束だったけど、解約した時点で積立金は使われてしまっていた泣

だけど姉NICE👍❗️でした。ありがとう

そのホールで葬儀を行う、母の最後の願いは叶えられた

もう一つ☝️母は宮型の霊柩車が大好きでした。

車として大好きだったんです。カッコいいと言ってました。

だから父の時も今では珍しくなった宮型の霊柩車にして助手席に母が乗りました。

母本人の時も…のはずだったのですが、それは叶えてあげられませんでした

棺も乗せられるバスにして、一緒に移動したのです。
宮型に乗せてあげられなくてごめんね
じいちゃんの時、生きてるうちに乗れたから…それで許してお願い

今まで母の面会に行くには夫にペットのウサギ🐰の面倒をみに来てもらわないと家を空けられなかった

でも夫も義実家で大変なわけで…来て!とも言えず、なかなか母の面会に行けなくなってしまっていました。

だから、いつもいつも頭の片隅には母のことがあって…もう心配しなくていいんだなって思うと寂しい😞

だけどホッとしている部分もあったりもします。

88歳…長い間頑張ってくれてありがとう