2学期になると
Tくんは確実に
僕に心を開いてくれるようになりました。
悪態をつくことは
相変わらずありましたし
時々起こすトラブルの
その対応に苦心しましたが
学校は休むことなく
僕と談笑をし
甘えてくるようなこともありました。
その度に
いわゆる問題行動、
その裏側にある真意に
近づこうとする
それは決してわかるはずないものであっても
わかろうとするその姿
(見える、見えないにかかわらず)
それが大切なのだと
肌で感じるようになりました。
Tくんに余計な言葉は無用でした。
むしろその言葉が彼を悩ませるように
感じました。
例えば
「君のつらい気持ちはわかるよ」
なんて言うと
「お前になんで俺の気持ちがわかる!
だから教師は偽善者って言うんだ!」
と一気に攻撃性が現れてきます。
とても賢い子なので
たくさんの情報も蓄積されており
言葉として入ってくる情報には
基本、ネガティヴな情報を
結びつけてしまうような気がしていました。
だから僕は彼に身を委ねるかのように
関係を築いていきました。
言葉よりも、
僕の姿で感じてもらおうと
日々、丁寧に…。
それはTくんにはもちろんですが
クラスの子どもたちひとりひとりとも
しっかりと向き合って生きることを
心がけていました。
僕の生き様を見てくれていることを
願いながら。
修学旅行は参加しませんでした。
たくさん話をした結果です。
参加することが当たり前と感じる
修学旅行。
しかし、その当たり前は
どこからくるのか。
既存の枠組みからではなく
Tくんそのものの枠組みで
彼を見ることが大切だと感じていました。
音楽会は
できる楽器で参加しました。
参加すると自分の意志で決めてから
不安で不安でしかたなかったTくん。
無理もありません、おそらく楽器は
小学校に入学してからほとんど
真面目に練習したことがなかったはずです。
そんなTくんが
参加すると決めた瞬間から
一生懸命練習に取り組みました。
みんなが全体練習をしている時も
僕に個人レッスンをお願いしにきていました。
Tくんと一緒に
リコーダーを
ピアニカを
これまでほとんど練習をしたことがない楽器を
文句を言いながらであっても
がんばっている姿は
もう大丈夫
とさえ思えました。
そしていよいよ3学期…
次回はその7、最終回。
サムネイルの四つ葉のクローバーの
話をします。
今日も読んでいただきありがとうございます