音楽と星とキャンドルライト -18ページ目

音楽と星とキャンドルライト

大人のアコースティック・ユニット「ウールカ」のブログ。

えー、過激な題名でスミマセン、過激商法です(爆)

…まぁ、そもそもは、自分自身に言った言葉なのですがねww

 

さて、心理学やセラピーやスピリチュアルな世界では、良くインチャ(インナーチャイルド)の話が出てきます。そして、「本当はあーしたかった、こーしたかった」とか「本当はそこで傷ついた」とか、自分の中にいる幼き日の自分をそう名付けして、あたかも、今、大人の自分が自己の中に抱えている暴れん坊将軍(古っ!笑)のように捉え、様々なメソッドを使いながら飴鞭で育てようとします。

 

が!そもそも、その頃の自分と今の自分ってそんなに違うんだろうか…?

 

「甘えたい」「褒められたい(認められたい)」

「でも、怒らせたくない(嫌われたくない)」「困らせたくない(迷惑かけたくない)」

「あれが欲しい!これが欲しい!」

「でも、失敗したらどうしよう!」「こわいよう!」

 

等々、

色んな彩りの、生々しい心の声があるけれど、今の子供たちも、今の大人たちも、スケールは違えど、大体似たようなものではないだろうか?(己の欲求に正直そうな子供たちでさえ、周りに一切気を使っていないなどと、ゆめゆめ思ってはいけない。そして、オトナなはずの大人も、結構ワガママで自己チューなところあるんじゃないんですか?笑)だから「インチャ(インナーチャイルド)」と名付けして、何か別に、困った愛らしい別人格が自分の中にいるように捉えることに、どうも違和感を覚えてしまうのです…

 

そもそも、生涯で人間が知れることなんて微々たるもの。だから、何か色々なことを「知っている」と虚勢を張ったり、「知っている」ことから平均値的な節度を守ったりすることが「大人」であると洗脳されてしまっている、私を含めた大勢の大人たちも、実は、心理学やセラピーやスピリチュアルな世界で「インチャ(インナーチャイルド)」と名付けられるものと、あんまり変わらないんじゃないかと思うのです。

 

誤解を恐れずに、ズバッと踏み込んで言うならば

 

「そのインチャというヤツも、今の自分じゃね?」

 

ってことである。

 

私のデザイナー友も言うように、人生のダイナミズムというのは、いつも想像の範疇の外からやってくるもの。それを楽しむ気概と姿勢こそが、本来の「大人」に求められることではないでしょうか。そして、インチャと称されるものと何ら変わりない、今「大人」の自分が、インチャと称されるものと少し違うのは、「大人」の自分は「子供」をもっと地に足がついた形で出来る「智慧」と「力(能力)」をつけることが出来る、ということだと思う。そういう意味で、本来「大人」というものは「子供のエキスパート」である、と以前言ってみたのです。「子供」である「大人」の自分は、「子供」である「子供」だった頃より、もっと上手く(巧みに)「子供」になれることだと思うのです。

(この「子供」という言葉に対する定義も千差万別ですが、ここでは友の言葉も借りて、<色々な思考や感情を持ち合わせた瑞々しい人間、「知らない」ことを楽しんで好奇心の旅に出かけることのできる人間、何も知らないから自分にも他人にも寛容になれるし、同じく何も知らない「他者」を過度に気にする必要のない人間>と定義づけておきます。)

 

インチャと称して、別に自分に内在してあるものと捉えるより、「自分はそのものでもある」と不二一元論(注参照)的に捉える方が、何だか、問題はもっとシンプルになる気がするのですよ…

 

まぁ、よくは分からないけどね(笑)

 

注:「不二一元論」は専門用語なのですが、シャンカラのそれではありません。もっと古いインド思想を表す用語ですが、説明すると長くなるので、また別の機会に。

…というか、言語化できないところに浮かび上がる思想なので、学者も長く苦しめられていて、なかなか文字面で説明するのが難しいというのが本音。

強いて言えば、「同じである」と「違うのである」という両極端(対極概念)が同居できる状態。パラドックス(矛盾)が成り立つ、ものの捉え方。

 

 

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今の私と、この時の私、全く違って全く同じ(笑)

 

いつだったかスタジオ後に、なぜか豊かさとは何だって話になったときに、相方aikoは「やりたいときにやりたいことができる能力だ」と言っていました。


むむ…たしかに物質的なことではないだろう。


どれだけ自由度があるかってことなのかな…

 

とくべつ豊かなくらしがしたいとも思っていないですが、 音楽に関しては曲を思いついたときにいつでも自宅で納得できるレベルのいい音で録音できたらなって願望はあります。


今年は年始から音楽ソフト変えてみたり少しずつ機材を揃えたり実験しつつ、半年でようやくミニスタジオ的なかんじになってきました(^-^;

しかし部屋が防音じゃないから周りが寝静まった夜中しか録音できません。

夏場~秋はセミや虫の鳴声もあるから夜中もなかなか難しかったりするジレンマ。。

 

つぎは防音工事かなw

ってか最初からやっときゃよかったえーん

昨年逝去した私の恩師が、人間「これ以上気付くことはないということはない、ということに気付くこと」が素晴らしいのだ、と言っていましたが、最近、私の友人のデザイナー/アーティストが「何も知らない人間のテーゼ」と題してブログをアップしてまして、これが個人的にはシビれるのです(笑)

 

それにも関わらず、大人になって社会に出ると、なぜか「私は知っている」と思い込んでいる人たちにたまに出会うことになる。彼らはあたかも世界を知っているかのように、または確固たる正解が存在しているかのように、人に説教したり、人を評価したりするのだ。

僕が思うに、「老い」というのは、「私は知っている」と思い込んだ時点から始まるのではないだろうか。知っているなら、もう知る必要はなく、好奇心も探究心も必要ない。ただただ自分の正しさにしがみつき、一部の宗教のように違う者や異を唱える者を排除するだけである。

どうやら「大人」という概念は、なぜかいろんなことを「知っている」と虚勢を張る態度を要求されるようである。確かに本当に無知では生活ができないので、ある程度の知識は必要だが、それを人生全体に当てはめてしまうのは愚かだ。

そしてその愚かさに取り憑かれて、鬱屈とした大人の方々も多くいるように見えるし、日本の幸福度の低さはそれに関連しているのではないかと思わなくもない。知らないことを認められない人間は、己に悩み、将来を心配し、人と比べ、かりそめの正しさに盲目的に迎合し、他人の否を責めつつも、自分が間違っていないか、恐れながら生きている。(引用)

 

実は、しばらく前に私も、このブログかFBの記事か忘れましたが、本来、大人って「子供のエキスパート」であることなんじゃないか、って書いたことがありまして、その種のことを彼とも色々語り合ったりしたので、シンクロするところが沢山あって…しかも、むしろ彼の文章の方が分かりやすい(笑)

 

僕らが自由に生きられるのは、何も知らないからだ。何も知らないから、新しいものを受け入れられるし、好奇心の旅へ出かけることができる。何も知らないから、自分にも他人にも寛容になれるし、同じく何も知らない「他者」を過度に気にする必要もない。

子どもが毎日楽しそうなのは、知らないことを楽しめるからだろう。逆に大人が苦しそうなのは、知らないことを恐れるからだ。そんな大人をわざわざ演じる必要性なんてあるのだろうか。生涯で人間が知れることなんて微々たるものであって、人生のダイナミズムというのは、いつも僕らの想像の範疇の外からやってくるものだ。それを楽しむ気概と姿勢こそが、本来の「大人」に求められることのような気がするし、それができれば人生は十分価値があるものなのではないかと思うのだ。(引用)

 

 

改めて

 

「まだまだ私は何も知らない」って尊いんだぜ!

素晴らしいんだぜ!

 

って思った今日この頃です(笑)

 

そのデザイナー友の作品↓(ignoramus-001)彼のアート作品には、いつもフィロソフィを感じさせられます。

aikoです。

FBのページにはアップしたのですが、
レコーディングをした翌日…
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友人の二人が結婚式を挙げるのに招待され、ドイツはニュルンベルクまで行ってきました!しかも、お城での挙式なので、お城で現地式の結婚式なんて、そんなチャンスは滅多にない‼️と思って、弾丸的に行ってきましたニコニコ
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ヨーロッパは、どこに行ってもフォトジェニックで、写真映えする所が多いですねラブ

ドイツに住んでいたことのある別の友人が、ドイツの結婚式は長いよと言っていましたが、確かに‼️10時間以上続いていましたね(^_^;) 午後の1時半くらいから集合して、時差ボケ組は夜の11時に帰りましたが、朝まで飲んで飲んでいた人もいたようです(笑)

でも、日本のように司会進行などはなく、一応プログラム的なものはあるのですが、とにかく、合間合間に、歓談や自由時間が設けられて、ノンビリ進んでいく、という感じで面白かったです爆笑 ピクニックを始める人たちもいましたよ!

結婚式は、ニュルンベルクではなく、バイロイトという街にあるファンタジー城で!
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ドイツ人の友人ですが、彼は日本に長く住んでいて、一緒に仕事をしたこともあるのですが、日本語バリバリです(笑)実は、ウールカの一番最初のライブは、彼がドイツに帰国する時の歓送会において演奏したのが初めてだったんですよねお願い

懐かしい…(笑)結婚式でもウールカの曲を流してくれました(^人^)

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その時に、奥さんになったYちゃんとも仲良くなって…彼女は、周りをすごくパッピーにしてくれる、とても素敵な女性なんです!とってもお似合いな二人、末長くお幸せに爆笑ラブラブ
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夏至を過ぎて、もうすぐ夏ですね。

 

この話題について書こうか迷ったのですが、彼女が私たちにもくれたものを刻む気持ちで書きます。ちょくちょくブログを拝見していたので、小林麻央さんの訃報を聞いて、何だか、とてもショックでした。有名人というだけで知りもしない人なのに、でも、ここまで切ないのは、それ程彼女のブログには、真摯な、真実の言葉が綴られていたからだと思います。

 

言葉には限りがありますが、昔から「言霊」とも言われるように、良くも悪くも、言葉には力もあります。海老蔵さんが会見で、麻央さんは愛の人だと言っていましたが、彼女は、自分の弱さも辛さも不安も含めて愛ある言葉を綴っていたから、沢山の人の、心の琴線に触れたのだと思います。

 

昨夜の追悼番組も見ました…確かに心打たれるものが沢山あって、若くして幼子を残して旅立つのは無念だろうし、残念で仕方がないという一面もあるのですが、何でしょう…彼女が一生懸命話す姿を見ていたら、むしろ凄く活き活きと生きてるという、こころいっぱいに色んなことを感じて生きている、身体は大病に侵されて大変なのに、きらきらと眩しく写って、魂の輝きとはこうゆうことなのかなぁと思いました。私たちは彼女の魂の輝きに触れて、そこから啓発されたこと鼓舞されたことを、どう自分の魂と向き合って、活かしていくのか、生きていくのか、それは私たち次第です。

 

きっと小林麻央という女性は、死んでからも生き続ける人なんだと思います。