シリーズ:ちょっと良い話!?(3) | 音楽と星とキャンドルライト

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大人のアコースティック・ユニット「ウールカ」のブログ。

昨年逝去した私の恩師が、人間「これ以上気付くことはないということはない、ということに気付くこと」が素晴らしいのだ、と言っていましたが、最近、私の友人のデザイナー/アーティストが「何も知らない人間のテーゼ」と題してブログをアップしてまして、これが個人的にはシビれるのです(笑)

 

それにも関わらず、大人になって社会に出ると、なぜか「私は知っている」と思い込んでいる人たちにたまに出会うことになる。彼らはあたかも世界を知っているかのように、または確固たる正解が存在しているかのように、人に説教したり、人を評価したりするのだ。

僕が思うに、「老い」というのは、「私は知っている」と思い込んだ時点から始まるのではないだろうか。知っているなら、もう知る必要はなく、好奇心も探究心も必要ない。ただただ自分の正しさにしがみつき、一部の宗教のように違う者や異を唱える者を排除するだけである。

どうやら「大人」という概念は、なぜかいろんなことを「知っている」と虚勢を張る態度を要求されるようである。確かに本当に無知では生活ができないので、ある程度の知識は必要だが、それを人生全体に当てはめてしまうのは愚かだ。

そしてその愚かさに取り憑かれて、鬱屈とした大人の方々も多くいるように見えるし、日本の幸福度の低さはそれに関連しているのではないかと思わなくもない。知らないことを認められない人間は、己に悩み、将来を心配し、人と比べ、かりそめの正しさに盲目的に迎合し、他人の否を責めつつも、自分が間違っていないか、恐れながら生きている。(引用)

 

実は、しばらく前に私も、このブログかFBの記事か忘れましたが、本来、大人って「子供のエキスパート」であることなんじゃないか、って書いたことがありまして、その種のことを彼とも色々語り合ったりしたので、シンクロするところが沢山あって…しかも、むしろ彼の文章の方が分かりやすい(笑)

 

僕らが自由に生きられるのは、何も知らないからだ。何も知らないから、新しいものを受け入れられるし、好奇心の旅へ出かけることができる。何も知らないから、自分にも他人にも寛容になれるし、同じく何も知らない「他者」を過度に気にする必要もない。

子どもが毎日楽しそうなのは、知らないことを楽しめるからだろう。逆に大人が苦しそうなのは、知らないことを恐れるからだ。そんな大人をわざわざ演じる必要性なんてあるのだろうか。生涯で人間が知れることなんて微々たるものであって、人生のダイナミズムというのは、いつも僕らの想像の範疇の外からやってくるものだ。それを楽しむ気概と姿勢こそが、本来の「大人」に求められることのような気がするし、それができれば人生は十分価値があるものなのではないかと思うのだ。(引用)

 

 

改めて

 

「まだまだ私は何も知らない」って尊いんだぜ!

素晴らしいんだぜ!

 

って思った今日この頃です(笑)

 

そのデザイナー友の作品↓(ignoramus-001)彼のアート作品には、いつもフィロソフィを感じさせられます。