気づけば1か月ほど
記事の更新をサボっておりました。滝汗

リハビリも兼ねて音楽ネタを。アセアセ

この半年間というものは
飽きもせずに
ずっとバッハのチェンバロ曲ばかり
聴いていたのですが、

ふとモーツァルトのピアノ協奏曲を
聴いてみたくなりました。

小林秀雄著『モオツァルト』の中に
このような行(くだり)があります。

「もう二十年も昔の事を、
 どういう風に思い出したらよいか
 わからないのであるが、
 僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、
 大阪の道頓堀をうろついていた時、
 突然、このト短調シンフォニイの
 有名なテエマが頭の中で
 鳴ったのである。

 僕がその時、
 何を考えていたか忘れた。
 いずれ人生だとか文学だとか
 絶望だとか孤独だとか、
 そういう自分でも
 よく意味のわからぬ
 やくざな言葉で頭を一杯にして、
 犬の様にうろついていたのだろう。

 兎とも角かく、それは、
 自分で想像してみたとは
 どうしても思えなかった。

 街の雑沓ざっとうの中を歩く、
 静まり返った僕の頭の中で、
 誰かがはっきりと
 演奏した様に鳴った。
 僕は、脳味噌に手術を受けた様に
 驚き、感動で慄ふるえた。」

ワタシには
「乱脈な放浪時代」もなければ、

「人生だとか文学だとか
 絶望だとか孤独だとか、
 そういう自分でも
 よく意味のわからぬ
 やくざな言葉」も思いつかないし

もちろんそれらで
「頭を一杯」にもできません。

でも、確かに唐突だったのです。

ヘルムート・ヴァルヒャの
一種の狂気を帯びたような
バッハの難曲『半音階的幻想曲』の
パッセージの中に、
突然、モーツァルトのピアノ協奏曲
第20番ニ短調の、

それも曲の冒頭部分ではなくて
第3楽章のベートーヴェンによる
カデンツの部分が
楔を打ち込むように現れたのです。

モーツァルトは断片も含めて
ピアノ協奏曲を39曲ほど残しています。

完成されているのは27曲。
その中に短調の曲は2曲しかありません。

第20番ニ短調と第24番ハ短調。

その中で第20番は、
モーツァルトの作品中で
最高傑作の部類に入る作品
と言われています。

モーツァルトは基本的に長調の
明るくて軽い目の雰囲気がする楽曲が
膨大な作品のほとんどを占めます。

それは、
彼の生活に関わる部分が主な理由で
長調の曲を
量産しなければならなかったという
悲しい背景があるからなのですが、
その部分は割愛します。

時折現れる短調の曲は、
こういう背景があるので、
もちろん印象強いのですが、

モーツァルトが友人に宛てた手紙の中で

「自分は音楽家だから、
 感情を音を使ってしか表現出来ない」

と自らが書いているように、
短調の曲には、強いメッセージ性を
感じないわけにはいかないのです。

その中でも、
交響曲第40番ト短調と
ピアノ協奏曲第20番ニ短調は
私の大のお気に入りの曲なので

もう何度も何度も

聴いているのですけれど、
交響曲第40番の方のスコア
(総譜:指揮者が見る楽譜)は
ずっと以前から見続けているのですが、
ピアノ協奏曲第20番のものは初めてです。

もともとピアノ弾きだったので、
2台のピアノのための楽譜は
持っているし、
人前で演奏をした経験もありますが、
改めてスコアで見たくなったのです。



 

以前にある友人から、
「モーツァルトの天才性を
 証明できるか」
という、
まるで数学の命題のようなものを
投げかけられてから

早くも十数年を経たのですが、
 

ようやく、
わずかに見出すことの出来そうな
行に巡り会いました。

わずかに?

いやいや、これほどまでに的確に
書かれたモーツァルト評は
存在しないのではないかと
思われるのです。

小林秀雄という文芸評論家が著した
『モオツァルト』の中に、
このようなゲーテのことばが

引用されています。

「いかにも美しく、親しみやすく
 誰でも真似したがるが、
 ひとりとして成功しなかった。

 いくつか誰かが成功するかもしれぬ
 というようなことさえ考えられぬ。
 元来がそういう仕組みに
 出来上がっている音楽だからだ。

 はっきりいってしまえば、
 人間どもからかうために
 悪魔が発明した音楽だ。」

ピアノ協奏曲第20番ニ短調と
縁があったのは30年ほど前。

この頃のワタシは、
この曲が持つ異様なまでの緊張感と
その完璧な構成力が
あまりにも美しい悪魔に化けて

「お前にこれが表現できるか?」

という作品からの命題の重さに
押しつぶされそうになったのです。

 

手元には、
内田光子女史と
イングリット・へブラー女史の
音源があるのですが、
どちらも久しぶりに聴いてみると、

 

年齢を重ねたせいで
どうも涙腺が
緩くなっていることもあるのですが

何が悲しいとか
何が素晴らしいとかではなくて、
理由もなく涙が出て来たのです。

数多の評論家先生の素晴らしい解説も、
数多の学者先生が著した
モーツァルトの書も、

 

筆者には失礼極まりないのだけれど、
とくに事実だけを

著されたモノ意外は、
 

たとえば、
モーツァルトにまつわる
数々のエピソード、
とりわけ
彼の天才性のすごさを著したモノは、
もう要らない。

この際、自分の周囲から
自分の想像力を阻むものは
しばらくの間遠ざけておいて、
彼の音楽を、
耳ではなくて目で確かめてみたい。

そう思ってスコアを入手し、
脳裏で音を再現しながら目で追うという、
音楽脳トレを楽しみながら、
モーツァルトの世界に
久しぶりにわが心を
深く委ねてみたくなっています。

 

 

 

 

 

 

 

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