※ ネットからお借りしました

 

今回も引き続き音楽ネタを。

もう20年以上も
前のことだったと記憶しています。

メルセデスベンツの
パンフレットだったと
思うのですが、

Cクラスのクルマが、
京都のある寺と思しき裏の通りに
さり気なく留められている写真が
載せられているのです。

ひっそりとした未舗装の小径に
寺の古びた土塀に寄り添うように
留められた車体の上に、
赤い紅葉の葉が数枚乗っていて、
小径にはたくさんの紅葉の枯れ葉が
落ちているという、
晩秋を思わせる写真でした。

ベンツといえば、
最近でこそ
世界の名車という冠が
おぼろげになりかけていますけれど、
それでも、特にアジア圏では
高級ブランドとしての地位を
保ち続けています。

ドイツ車といえば、
ベンツ・BMW・アウディ・・・
というような感じでしょうか。

考えてみれば、
妙な取り合わせなのです。

だって、日本の伝統的な風景の中に
誇り高い
ドイツ人の象徴のようなクルマが
ちゃっかりと存在しているのですから。

 

残念ながら、ネットで検索しても
その写真は出て来ません・・・。

 

でも、土塀と晩秋の京都の小径と
ベンツというクルマが
決して仲良く写っているのではなくて、

物静かではあるけれど
明確に拮抗させるように
主張し合ってはいるものの、

 

決して騒々しくなく、
あくまでも上品なたたずまいの写真で、
プロの写真家の感性は
素人のワタシにさえも

じゅうぶんに
楽しませてくれるものでした。

ちょうどこの頃、
光岡自動車が
世界のデザイナーの度肝を抜くような
強烈なデザインの
クルマを発表しました。

オロチ

風の声なので
真偽は定かではないのですが、
「オロチ」のデザインを見た
フェラーリのデザイナーに

「駕籠(かご)かきの日本人に
 こんなデザインを
 考えられるヤツがいるのか?」

と、地団駄を踏ませたそうな。

ヤマタノオロチから
発想を得たそうです。

これも
もうネット上に存在しないようですが、
某神社の前に、オロチが、

見る側に向けられた恰好で
留められている写真でした。

京都や奈良のみならず、

寺院も神社も
日本の伝統の典型です。

オロチのデザイナーは
当時24歳くらいの
お若い方だったそうですけれど、
もちろん日本人です。

確かに、どこかヤマタノオロチを
彷彿とさせるような、
ちょっとおどろおどろしい顔つきと
その独特のスタイルは、

これを公道で走らせたときは、
クルマに関心のない人でさえ
振り向かせてしまうでしょう。

ところが、
そのオロチと神社の取り合わせに
何とも言えない違和感を覚えたのです。

ドイツ人と日本人とでは
勤勉さという点では
どこかに共通点が
見出せそうだとはいえ、
語族も文化圏も大きく異なっています。

ですから、1枚の写真の中で
互いを尊重しあいながらも
どこかで拮抗していて、
互いの相容れないところを
はっきりと現しているのは
当然のことといえるでしょう。

でも、その差異が
言語化できない違和感よりも
むしろちょっと気持ちの良い
わずかな痛みを伴った

心地よさのようなものを
見る者に与えるのです。

一方、ヤマタノオロチも神社も
日本の精神部分では
大きな共通点があるはずです

ところが、
そこからインスピレーションを
得たはずのデザインが示す主張と、
神社の主張とが
同調も拮抗もせずに、
てんであらぬ方を向いているようで、
とってつけたような印象を受ける
写真だったのです。


お話は大きく変わりますが、
ワタシの塾の生徒さん、
特に中高生君たちに
正直に答えてくださいねと断り、
これを尋ねてみたのです。

「古文はキライですか?」

「古文は好きですか?」ではなくて、
問う前から「キライですか?」とな?

まあ、おおかたの答は
予測してますのでね(笑)

はい。
その予想通り、
全員が「キライです」と
即答しました。

中には「大キライです」とも。

実は、ワタシもキライでした。
ワタシの場合は、
古代日本語としての古典も
音楽の古典も、両方でした。

古代日本語としての古典は、
いわゆる
古事記や日本書紀や万葉集に始まり、
『枕草子』『源氏物語』『平家物語』、
それに添えて『徒然草』・・・。

挙げればキリがない・・・(苦笑)

一方の音楽ですが、
一応、音大を無事に卒業できて、
しかもしばらくは学校の教師をしながら
ピアノ弾きもしていました。

古典、特にその最たる存在である
バッハの作品の良さに目覚めたのは
40歳を越えてからです。

それまではというと、

「難しい・カタい・面倒くさい」

とにかく、ものすごく厳格なのです。
テンポひとつを取っても
勝手に変えてはならないし、
楽譜通りに弾くのは鉄則中の鉄則です。

ですから、ガーシュウィンのような
近代的な作品が大好きでした。

もっとも、
ガーシュウィンをして
自由すぎるゆえの不自由さを
これでもかと痛感させられ、
それが厳格であるはずの
古典の中の古典である
バッハの作品に戻る
きっかけとなるのですけれど。

ニンゲン様というのは
まことに不思議なヤツでして、

「自由にしてイイよ」と言われれば、
何をどこまで自由にして良いのやら

分からなくなり、

「あれもダメ、これもダメ」
と言われれば、
自由にさせよとほざく。

生徒さんの「古文キライです」を
はて、どのようにして
「キライ感」を和らげようか・・・。

なんてことを考えながら、
偶然とはいえ、
バッハの『平均律曲集』のCDを
手持ちのステレオでかけてみる。

目には清少納言の『枕草子』。
耳にはバッハの『平均律曲集』。

おいしいコーヒーと
ちょっとビターなチョコレート以上に
良く合うのです。

あれ、この感覚、ナンだったかな?

そうそう。
あのベンツと土塀の写真じゃないか。

民族も文化も、
もちろん歴史も違うのに、
「伝統」という文字には
天空でのみ通じ合うような
特別な存在があるのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

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