長く受け継がれるもの。

神話、歴史の謎、仏像、
名作と言われる作品などなど・・・

これらに共通しているものは
なんぞなもし?

例によって、
脳内未言語化マリモ」を
まさぐってみる・・・。

あった。

多分これやと思う。
というのが、これでした。チョキ

多面的な存在。チョキ真顔

例えば、古事記と日本書紀。
成立年代は異なりますが
時代的にはほぼ同じです。

ところが、同じ話題だと思われるのに、
神様のお名前の表記(漢字)が
異なっていたり、

古事記には書かれていて
日本書紀には書かれていない、
またはその逆。

仏像も名作と言われている作品も、
そのとらえ方によって
意味合いが微妙に異なってくる。

『アルケミスト』という
稀代の名作といわれている
物語があります。

「それは書かれているから」
という謎めいた行(くだり)が
何か所かに現れます。

この作品が稀代の名作と
言われるゆえんは、
こういうことです。

読者の世代によって
受け止め方が大きく変わること。
(読み手が全くの他人の場合)

同じ人が年齢を重ねる中で
この物語を何度読みかえしても
その度に必ず新しい発見がある。

確かに、1冊の本でも
月日を経て読み直したら、
以前とは気づかなかったことに
目が留まり、
考えさせられることは
往々にしてあります。

ただそれは、
その本を手にしている
自分だけに起こること。

この『アルケミスト』は
この書物を手にした人の多くに
起こるのだそうです。
(例外もあるでしょうけれど)

前述の記事の
見返り観音様もそうですけれど、
見る人それぞれによって
受け止め方が異なること、
そしてその解釈の仕方もまた
その人ぞれぞれ自由であること。

そういう意味で多面的な存在なのです。

でも、ただ多面的であっても
受け継がれていくには
もうひとつ
大切なことがあると思います。

それは手放されていること。

作り上げた人々の想いは
それぞれにこめられてはいるけれど、

見る人接する人に、
必ずつくった側の思うとおりに
理解しないといけないという
想念のようなものは
まとわりつていません。

熱い想いは伝えたいけれど、
それをどのように受け取るかは
あなた次第ですというスタンス、
それが「手放すこと」だと
思うのですね。

あるいはどこか謎めいていること。
オカルト的ではなくて
ミステリアスであること。

接する度に新しい発見があり、
謎が生まれて謎を呼ぶこと。

そして何よりも
洗練されていること。

洗練され尽くしたものは
シンプルです。

このシンプルさは
どこからやってくるのか、
どこから生まれるのか、
その謎は奥深くおもしろい。

その探究もまた、
接する人に手放されている。

その探究の結果は、
その人の教養の映し鏡となります。

そない考えると、
知らないことが多すぎますね。

全部知りたいけれど、
それを叶えるには
人の生涯年数は短かすぎますし、

こない言うてる間にも、
どんどん知らないことが生まれていて、
分からなかったことが
解明され続けています。

さあ、勉強しましょ。

 

 

 

 

 

 

 

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