偏差値70以上の中学を受験する
お子さんの国語読解指導の
オファーを承り、
大変ながらも実りの多い体験を
させて戴いたのが
昨年の5月から
今年の1月半ばあたりまで。

このお話は
何度となく記事として
アップさせていただいていますので
詳細は割愛しますが、

その後2か月のブランクの日々は
頭と気を休める期間として
の~んびりしておりました。

ちょうど、小春日和の日だまりで
これ以上伸びんやろな~と
思われるくらいビロ~ンと
体を伸ばしきって
惰眠をむさぼっている
ネコみたいな状態になった後、

高校生になっても
引き続きウチの塾に
通ってくれることになった
生徒のための

3年間ブランク状態だった
高校数学の指導の再開をした際に

 

3年前に感じていた
高校数学への印象と
まるで違っていたことに
驚かされた日から
早2か月を経ました。

高校1年生の数学って
こんなに分かりやすかったっけ?

数学に対するわが頭脳のとらえ方に
大きな変革があったことは
明らかなのですが、
この2か月間、
どこに大変革が起きたのかは
分からなかったのです。

それが、本日、
確定的とはいえないまでも
かなりな確率で分かりました。

それは・・・
「言葉の壁」でした。

それに気づかせてくれたのは、
高校生になったM君。

今日も「数学レスキュー」を
発信したので、解説をしました。

今日の「お題目」は

「命題・命題の逆・対偶を
 どないして区別するんか
 分からん」

というモノでした。

まあ、こんな上から目線で
質問をしたワケではありません。

M君の名誉のために申しますが、
きわめて真面目な子なので・・・。

高校の数学に対して
急激に「分からん」を連発し、
ついには解決できないで
そのまんま
「高校数学難民化」してしまう
お子さんって、
かなりな数でいるそうですね。

ウチの塾生を通してなので
狭き窓であり、それこそホンマに
垣間見るしかないレベルですが、

 

こういうことって、
同じ年齢で似たような
思考レベルであれば、
経験値から判断するに
どこなく共通しているんと
ちゃうかなと思えます。

M君は中堅レベルの私立高校に
通っています。

ある程度のレベルの学校なので、
計算力はそれなりにあります。

「それなりに」というのは
高度な乗法公式を使う数式とか
複雑な因数分解には
対応できないからです。

それで、今日の「お題目」である
「命題・命題の逆・対偶を
 どないして区別するんか
 分からん」
というのも、

高度な乗法公式を使う数式とか
複雑な因数分解には
対応できないというのも、

実は根っこは同じだと
M君に解説をしながら
ハタと気づきました。

「言葉の壁」

 

つまり、公式とか数式とか

文の文字を追いかけることで

精一杯の状態で、

 

その公式がナンでそないなるねん

ナンでそんな数式になるねん

ナンでそんな表現をするねん

 

という「ナンで?」を自力で追求し

自力で解決できないステージで

せっかくの頭脳に

堂々巡りをさせているからです。

 

まあ、その解決のために

ウチの塾に通って来て

くれているのですけれどね・・・。


いつのことでしたか、
「Aは常にBでない」と
「Aは常にはBでない」の
区別が出来ない高校3年生が
わんさかといて、
しかもトップレベルの高校での
話だというのを
記事としてアップした
記憶があるのですが、

今回のM君の
数学Aの命題と証明の単元で
ずっと引っかかっていた箇所も、
実は「常に」と「常には」の
区別が出来ないことと、
遠くにあらず。

「n=-3かつn=3ならば
 n^2=9である。この命題の逆と
 対偶を述べ、それぞれについて
 真・偽を答えよ。」

M君、問題を見て固まっとります。

「先生、『裏』って
 どない表すんですか?」

あ、やっぱり。

「『n≠-3またはn≠3ならば
 n^2≠9である』が命題の『裏』」

キョトンとしてますけど、
あさって数Aのテストの本チャンやと
言うてなかったかえ?

授業終了後に
「且つ(かつ)」と「または」が
対義語になっているのかを
調べたのですが、
完全な対義語ではないのですね。

日常生活でも「且つ」も
「または」も
よく使われる語なのですが、

とはいうものの、
ご飯の食材調達に行って
「且つ」も「または」も
使うシチュエーションって
あんまりありませんがな・・・。

でも、
「尚且つ(なおかつ)」とかは
耳にされたことはありませんか?

日常生活で言う「且つ」は
「その上に・同時に」という意味で、
例えば、
「リンゴとミカンを買ってきてね」
というのを
「且つ」を使って表現すると、
「買ってくるようにお願いしたいのは
リンゴ且つミカンです」となります。

小難しいな~・・・
えーん

で、問題なのは「または」の方です。

日常生活での「または」は、
こんな感じです。

「夏休みの宿題は
 自由研究のレポート作成、
 または最低2冊分の読書感想文を
 書くことです。」

この場合は、
自由研究レポートか
2冊分の読書感想文か
どちらか一方をすれば良い
ということです。

ところが、これが数学となると

「夏休みの課題は、
 自由研究レポートのみでも良いし
 最低2冊分の読書感想文のみでも
 良いし、両方しても良い」

と、なるのです。

それで、
「n=-3かつn=3ならば
 n^2=9である。」という
命題の対偶ですが、

それは、命題の裏の逆と
いうことになるのですが・・・

つまり、こないなります。

「n^2≠9ならば、
 n≠-3またはn≠3である。」

ちなみに「命題」の逆は、
「n^2=9ならば、
 n=-3かつn=3である。」

この表現の方法に
M君は振り回されているのです。

実はワタシも高校生のときは

振り回されておりました。

 

だから「高校数学難民組」でした。

(「難民」という表現は、決して

ふさわしくないのですが・・・)

これが、振り回されなくなり、
ばっちりクリアに
区別できるようになっていたのです。

これが、私の頭の中で起きた
思考回路の大変革なのです。

こういう論理的な表現が
めちゃくちゃ苦手で、
もちろん、こういう
論理展開をされている
文章に対しても
書籍に対しても

「こんなん小難しいだけやんか、
 めっちゃウザいし!
ムキー

としか受け取れなかったのです。

私が高校生時代に
高校数学が分からんようになったのは
この「言葉の壁」という
ハードルを
越えられなかったからなのです。

京大の理学部卒業の友人は
これを軽々と越え得たのです。

その友人いわく、
「その代わり、あなたは、
 ボクが越えられなかった
 『音楽の壁』を
 軽々と越え得たからこそ
 ピアノ弾きに
 なれはったんですよ。」

そういうことか・・・。

 

私が経験した

思考回路の大変革を、

M君にも経験してほしい。

 

明日の1日の大切なチャンス。
M君におつきあいします。

 

ウチの塾の
試験を受ける者の心得は

「その試験の瞬間の1秒前まで
 あきらめずに努力せよ。」

なのですから。

 

 

 

 

 

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