理系思考が得意な、俗に言う
「理系頭」の子どもさんのうち、
8割くらいまでの確率で
国語の読解を
あまり好まれない傾向が
強いように思います。
国語の読解は、
いわゆる文章の解析を、
引いては「解剖」をするわけです。
設問者の指示にしたがい
与えられた課題の文章を
設問者の要求にふさわしくなるように
解剖し分析をしながら
解答を進めてゆく作業です。
「解答」とは、
結ばれた紐を「解き答える」こと。
本を読むことを「紐解く」というのも
ある意味でこれに当たります。
もっとも、読書の方は
わくわくしながら結ばれている紐を
解いてゆくのですが・・・
買ってきた本という「箱」の中に、
一体どんなお宝が
隠されているんだろうと思いながら
わくわくして「紐を解く」。
読解の場合は、
読んで紐を解くのですが、
その間に設問者がいて、
その人の意志に従わねばならない。
ここを面倒がる子が多いのです。
確かに、全く知らない人が
勝手に設問を作り、
「次の文章を読んで
後の問いに答えなさい」
などという指示を出してくる。
自由に読みたいのに・・・
なんて考えている子は、
いないかな・・・
でも、読解問題を解いていて
こんなことを思うのですね。
論説文にせよ、小説文にせよ、
読解問題で使われているところって
1冊の本(作品)という
広い広いものから、
ほんの一部分を
切り取っているだけに
過ぎないのですね。
私も含めてたいていの人は
今自分が読んでいるところが
まさか読解問題に化けるとは
よもや考えてはません。
大概の人々が読んで流す部分から
インスピレーションを得て
読解問題として変身させる人がいる。
その選び出す高度な能力たるや
すごいな~と思うのですね。
読解問題ってそういう意味では、
設問者が「解き手」に
謎解きを挑んできているのです。
挑まれたほうもそれに怯まずに
「見事に解いてみせましょうぞ!」
というくらいの気概になって来たら
国語の読解問題を解くのって
おもしろいと思うんですね。
それで、今日、中学3年生になった
Nさんの答案を、
彼女の前で採点していると
30字以内で書きなさい
というところが、
見事に空白になっていましたので、
この小説文の読み方や、
父と子の会話からの
情報の引き出し方を教えました。
① 父親はどんな状況なのか
② 子どもはそれを
どのように見て感じているのか
③ 父と子の会話のどの部分で
①と②が分かるのか
その想像があって初めて
30字以内のマスを
埋めることが出来るのです。
そのプロセスが
全然分かっていないのですね。
別のところでも
主語と述語がねじれているし・・・
「AがBの食べているものを奪い
『もらいっ子』と叫ばれて
逃げられた」
と書かれています。
Bの食べているものを奪ったのは
Aです。
『もらいっ子』と叫んだのも
Aのはず。
ところが、
「『もらいっ子』と叫ばれて
逃げられた」では、
食べているものを奪われたはずのBが
叫んで逃げたようになってしまう。
この「ねじれ」が
分からないのですね。
こういうことを平気でするのです。
これでは、文章を正確に読めません。
数学でも英語でも、
ある程度まではゆくのです。
でもそこから伸びない。
その理由の根元が
今日見つかりました。
読解問題を通して
こんなこともまで分かってしまう。
こういうところの修正をしてゆけば、
Nさんの文章へのとらえ方が変化し、
そういう動きが生まれたなら、
この子は他の科目も劇的に変化する。
この動きを生まれさせるためには、
根気よく読解問題を進めれば良い。
その根気があるかどうかは
Nさん次第です。
「理系頭」の子どもさんは
文字通り発想力が凄いので、
どうしてもウサギのように
一足飛びに進みたがります。
(実際のウサギは
実に用心深くて、決して
一足飛びはしないのだけれど)
でも、読み取りはそれを許さない。
確かに、中には
一足飛びにスキルだけを教えることを
「読解指導」と称している塾も
結構多くあると聞いています。
私はこれを「ウサギ式」と
言っています。
手っ取り早く点数を取りたい方法に
強い魅力を感じられるのであれば、
それは否定しません。
小器用に結果は出せますからね。
読み取り(読解)を通してでも
言葉の魅力を感じることは
じゅうぶんにできます。
その代わり、「カメ式」になる。
同じするのなら、
私たちが使うのと
同じ日本語でありながら、
一旦、作家という手にゆだねられると
なぜこうも魅力的になるのか・・・
そこまで感じながら読解に接する方が
絶対に気持ちの上でも
豊かになれます。
「ウサギ式」に魅力を
感じてしまった人からすれば
寝言・世迷い言にしか
聞こえないのかもしれません。
あるいは、
特に中学入試を控えた方にすれば、
そんなことは戯言かも知れません。
それでも、入試が終わったら
「カメ式」に戻ろうと
思われているかも知れません。
でも、人の頭はそんなに器用で
性能良く作られていないのです。
一旦味を占めてしまったものは
なかなか忘れられない。
どうせ同じくするのであれば、
「カメ式」が断然良いのです。
その方が気持ちが豊かになれる。
豊かな心からは
豊かな言葉が生まれます。
豊かな言葉は
気品と優しさに満ちている。
少なくとも、
私はそのように思っています。
指導者ですしね。
豊かでない指導者に指導されることへ
魅力を感じる人は、
少ないでしょうから。
勘違いをされている方が多いので
敢えて書きますが・・・
「カメ式」は
ゆっくりしているけれど、
じっくり進んでいるのであって
ダラダラと、
漫然と進んでいるのではありません。
かく言う私、
この「カメ式」で読解問題を分析する
その心地よさに目覚め、
私の脳はどうもこちらに
味を占めてしまったようです。
考えるに、
小器用な読解スキルって
どこまで通用するでしょうか?
中学入試まで?
高校入試までかな・・・
大学入試は通用しないと
思うのですが。
あるいは社会人になったら
通用しないと思うのですが。
いかがなものでしょうか。
あ、そうです。
読解問題をすることについて
このようにも思っています。
ほんの一部分ではあれど、
その作品に接する機会を与えてくれ、
その魅力の発見へと
いざなってくれているのは、
他でもない設問者だとも
思えてならないのですね。
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