久しぶりの音楽ネタです。
久しぶりなので
気合いが入りすぎて、
いつも以上長いです。m(_ _)m

Webページのことも
ZOOMのことも
一段落ついたので、

久しぶりに
整理整頓の出来た机の上に
楽譜を広げ、

ベートーヴェン先生の作品である
『ワルトシュタイン』を聴きながら、
特に第3楽章の譜面を目で追って、
楽しんでいました。

聴くだけでも
かなりな演奏技術が必要なのは
分かるのですが、

細かいところが
どないなってんのか
分からなかったので、

楽譜を見てみたいと思っていて、
そのチャンスが
漸く訪れたというわけです。

ベートーヴェン先生の
ピアノ・ソナタには
実は産業革命が
大きく関わっています。

意外でしたか?

イギリスの産業革命が
ヨーロッパに広がり始め、
資本家対労働者という
構図になってくるのですが、
そのときに活躍したのが
ベートーヴェン先生なのです。

1707年にクルストフォーリが
チェンバロを改造して
ピアノ・フォルテを作りだしたものの、
その構造はあまりにも稚拙で
弦の張力を支えるための柱は
まだ木で出来ていたので、
強く弦を張ることが出来ませんでした。

ピアノという楽器の特性上、
音量を大きく豊かにするためには
弦を長くして
張力を上げる必要があります。

さらには張力を上げるためには
その力を支える柱が必要になりますが、
それがまだ木だったのです。

弦の長さが短い間は
木でも支えられますが、
弦を長くして大型化させると
より強い支柱が必要となりますが、
もはや木では限界が来ていました。

それがバッハや
モーツァルトの時代。

現にバッハは、
クリストフォーリが改良した
ピアノ・フォルテに対しては、
完成度が低すぎて
楽器とは認められないと
思っていたようです。

ですから、
バッハの作品には
チェンバロ協奏曲はあっても
ピアノ協奏曲がないのですね。

それがモーツァルトの作品となると
ピアノ・ソナタやピアノ協奏曲の数が
格段に多くなります。

特にピアノ・ソナタは
パトロンからのオファーで
作られたものが多く、
それはそのまま、
パトロンの趣味としてのピアノの
教則本代わりになっていたり、
貴族やパトロン同士の交流の場での
一種の嗜好品の役割もしていました。

モーツァルトのピアノ・ソナタに
軽い雰囲気の作品が多いのは
そのためなのですね。

もっとも技術的には「軽い」なんて
決して言えないのですが、
趣味としての音楽の範囲では
重々しいものよりも、
軽い目の方が好まれるのは
世の常というものです。

ところが、その状況が
ベートーヴェン先生の登場で
一変します。

彼の全作品の根底にあるのは
人間愛であり、
彼独自の人生哲学です。

厳格なソナタ形式を重んじた、
彼自身の主張が満載の作品群は、
もはやサロンなどで軽々しく弾くには
その演奏スキルが
あまりにも高くなりすぎて、
趣味としての音楽の範囲であっても
かなり達者なピアノ弾きでないと
手に負えなくなってきます。

その理由が、
産業革命との関係なのです。

つまり、鉄骨で弦の張力を支えられる
ピアノが登場したからなのです。

産業革命によって
中産階級でも
どうにかピアノを手に出来るまでの
経済力が出来てきたのを見越して
ピアノ製作会社も増え
ピアノの増産体制も
出来てきた時代です。

印刷技術も上がり、
楽譜も増産体制がとられ、
出版社も増えたことで
ベートーヴェン先生の名は
ヨーロッパ中に
広がることになります。

すると、ピアノ製作会社は
こぞって新型のピアノを作り
ベートーヴェン先生に
使ってもらうことが
その会社のステイタスと
なっていきます。

その提供を受ける
ベートーヴェン先生にとっての
新型ピアノは
格好の実験台になりました。

その結果、
ベートーヴェン先生の
アイディアの方が先行し
彼の意見を反映させるべく
ピアノ製作業者が後を追いかけるという
構図が生まれます。

すると、
ベートーヴェン先生は
どんどん改良されてゆく
ピアノの限界を見極めたくなるのか、
また新しい演奏法の実験を
新作の中で始めるのですね。

こういう背景があって
ベートーヴェン先生のピアノ曲は
そのスキルが
どんどん上がってきたのです。

『ワルトシュタイン』の第1楽章の
真ん中辺りで奏でられる
低音部の素早い音の動き(アルペジオ)を
ピアノ(小さな音)で引き続けるためには、
指の動きも鍵盤上で
小さくしなければいけません。

そういうわずかな指の動きに
鍵盤の動きが対応するためには、
鍵盤のアクション部分の構造も
従来のピアノの構造では
ベートーヴェン先生のアイディアは
反映させられません。

もし出来なければ、
ベートーヴェン先生からの
クレームなり、注意なり、注文が
容赦なく入ったことでしょう。

こんな背景を知ると
ベートーヴェン先生の
ピアノ・ソナタには、
ピアノという楽器が
産業革命の後押しを得て
どんどん発達するという、
いわゆる大きな将来への希望を
感じずにはいられなくなり、
聴いていると
ワクワクしてくるのですね。

だから、彼のピアノ・ソナタは
格別に好きなのです。

残念ながら、ソナタ形式は
やがてその構造の複雑さと厳格さから
時代とともに敬遠されるようになり、
衰退していきます。

その代わりとして
ショパンをはじめとする
ロマン派といわれる作曲家たちによって
バラード、スケルツィオ、幻想曲など
新しくもっと自由な形式が確立され、
ピアノは現在のものにどんどん近づき、
そのたびに新しい響きが
作られてゆくのです。

その大きな礎となっている
ベートーヴェン先生の
ピアノ・ソナタの存在には
途轍もない大きさを感じます。

 

 

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