失望はなぜ起こるのか。それは希望があるからだと思う。

 

相手に「これくらい分かるだろう」と期待を持つから、理解していなかったとき失望する。

 

「私は頑張っているから成功するに違いない」と希望を持つから、成功しなかったときに失望する。

 

「私は優れているはずだから、評価されるに違いない」と要望するから、評価されなかったときに愕然としてしまう。

 

私たちは失敗そのものよりも、期待していたものが手に入らなかったときに、大きく失望をしてしまう。

 

期待しなければ失望もしない。そんなことは分かっているのに「期待」することを止められない。

 

私たちは他人の事なんて理解できない。たとえ長年連れ添ったパートナーでも。

 

それなのに「自分の事は理解してほしい。理解するはずだ。」と思い込むから怒りや気持ちがへこんでしまう。

 

相手の事を完全に理解できないのに、自分だけ理解してほしいなんて傲慢だと思う。

 

自分には自分の思いがあり、相手には相手の思いがある。

 

そこを忘れなければ、相手に理解されなくても気分が乱れる事はない。理解してほしければ、言葉を変えたり、熱意を加えたりして、相手に理解してもらえるように試していけばいい。

 

「自分と相手は違う人間」を完全に理解する事ができれば、相手に完全に理解してもらえる事なんて奇跡のようなことなんだと分かる。それが「分かり合える」という言葉の意味なんだと思う。

 

そう考えると意外と奇跡って身近にあるものだと思いませんか?

 

しかも「自分と他人を明確に分ける」ことは、他人に依存しなくても自分を主張できるという「救い」でもあると思うのです。

 

知らんけど