フィンセント・ファン・ゴッホの言葉です。

芸術家らしい言葉で実に示唆に満ちた言葉です。

 

私たちは「どこかに美しい景色はないかな」と探し回ります。

挙句の果てに、探し疲れ果て「この世界のどこにも美しい景色などなかった」とニヒリストになったりします。

 

絵描きはそこらの人に美であったり真実を見出し、二次元を立体的にして表現します。

小説家はそこらの人にストーリーを与え、あたかも世界に一つだけの美しい話として仕立てます。

音楽家はありふれた恋愛に美しいメロディーと詩を与え、世界一のラブストーリーとして夢を届けてくれます。

 

世界のどこかにある絶景を見ても、感動するでしょう。

 

しかし私たちの日常にある美しさも、もしかしたらその絶景に劣らないかも知れません。

あまりに私たちは目の前の事をおろそかにしすぎなのではないでしょうか。

 

過去と他人は変えられません。変えられるのは今と自分だけです。

そうであるならば、目の前の美しさを見逃しているなら、あまりにも損失が大きすぎでは無いでしょうか?

 

通勤の途中に花は咲いていませんか?

美味しいにおいの飲食店はありませんか?

いつもすれ違う人はいませんか?

 

自分の中にある不安や頭を悩ます問題をいったん脇に寄せて、目の前の景色に心を奪われてはみませんか?

人生80年だとすると春は80回しかありません。夏も80回しかありません。秋は最近無いような気がしますが、80回しかありません。冬も80回しかありません。

 

同じ季節でも気温や、感じ方などは毎回違います。同じ季節は2度とないのです。

何が大事なのか、目の前の事に集中してみませんか?

きっと美しさに気が付くはずです。

 

写真はAIで作成しました。間違い探しになっています(笑)