僕が介護をはじめた理由①



 

 


朝からごねる妹を何とか宥めたり

餌で釣ったりして

(彼女は食べ物に弱いので)

約束通り実家に連れて帰りました

 

 


その時点での祖父の様子は

排泄等も何とか自分でコントロールでき

食事も自分で食べれるし

散歩等も促せば可能

(ただこの時点で動く事はかなり嫌がってましたが)

まあ言うなれば年相応の老化といった感じで

ひっかかる部分があるとすれば

若干鬱っぽさがあるのかな?くらいでした

 

ちなみになのですが

この祖父の鬱っぽさは高齢者独特のもの

だったのかもしれませんが

大半の原因は母親にあったと僕は思っています

 

詳しくはまだ語りませんし

また語れる程の余裕はありませんが

(あと色々記憶を呼び起こしてます故…)

母親はかなり気性の荒いtypeなため

職人気質で頑固な祖父のプライドという物を

へし折ってしまったからではないのかと

 

 

 


とりあえず祖父のみの現場を確認した僕は

正直やる気を無くしました

妹が騒ぐ程の状態にも見えなかったので

 

ただ一応

母親にも妹にも

大きな口を叩いてしまった以上

それなりにはやろうと

実家に戻らずとも通うようにして手伝うという

スタンスをとる事にしました

 

そんな感じの生活をふらりと続けながら

(まあ一部見ないようにしていた箇所はありましたが)

苦手な母親とも少しずつ話すようになり

それはそれでいいのかな~

なんてその時点では

かなり安直に考えていました

 

 

 

 

そんなある日1つの事件が起きます

 

その事件が僕が介護を始めたきっかけ?

というのに

なるのかもしれません

 

 

 

その日は確か昼まで寝ていて

妹からの電話で起こされて

寝惚けながら泣いている妹の声を聞きました

 


「じーに殺せと言われた」


「首をくくるから紐を寄こせと言われた」


「どうしたらいいか分からない」


 「もう嫌だよお……」



何があったか?と聞いても答えられない程

泣きじゃくる妹に

大丈夫という言葉さえかけられない自分

 


その時初めて

通っているとはいえ

第三者みたいな立場の僕では

気付く事なんて出来なかった事が起きている現実と

身内に殺せと懇願するまでになっている

祖父がいる現実と

身内に殺せを懇願された妹がいる現実とが

僕に重たく圧し掛かってきました

 

 

ダッシュして電車に飛び乗って

(僕走るの無理なんでそんなに早くはないですが)

タクシー乗って実家に着いて

まだ泣く妹を抱き締めて撫でて

その時に出来た精一杯で僕は彼女を慰めました

 

 

落ち着いた妹に「何故?」を問うと

どうやら寝てばかりの祖父に

「少し散歩でもしなよ?」と言ったら

揉めてしまい

双方がヒートアップした結果

祖父がその言葉を吐いたと言いました

 

 

なんとも拍子抜けしてしまう内容でしたが

裏を返せばそんな大した問題でない事柄であっても

安易に死を口にする祖父になってしまってたわけで…

 

 


僕はもう逃げられない

 

とその時思いました

 

 

 

決意というのは場面で変化していくもので

時が経つにつれてコロコロと姿を変えましたが


この時点での決意は

「逃げれないし逃げちゃいけない」

でした

 

 

 

 

続きはまた・・・・