昨日は高野山への道、町石道を歩き高野山方面へのお参りに。
町石道とは、弘法大師、空海が高野山を開創した時に、木製の卒倒婆を建てて道標とした、高野山への表参道です。
鎌倉時代以降、幕府の有力後家人、朝廷、貴族、武士などのご寄進により、石造の五輪卒倒婆に変わり、遺されています。
高野山壇上伽藍を起点に麓の九度山町慈尊院までの約23キロに渡り、1町(109m)ごとに180基有ります。
九度山町の道の駅に午前5時半に到着、日の出時間を確認すると6時半頃の様でしたので、6時前に慈尊院を目指し出発しました。
10分程で慈尊院に到着。

慈尊院は、弘法大師の母、玉依御前が高野山で修行をされていた、弘法大師を四国讃岐から訪ねて来られました時に、滞在されたお寺です。
当時の高野山は、女人禁制でしたので、このお寺に滞在され晩年を過ごされました。
慈尊院が有る九度山町は、弘法大師が、月に9度母親に会うために、高野山から降りて来られたので、名前が付いたと言われています。
最初に大師堂で、弘法大師様にご挨拶、無事に高野山に着く事を祈願しました。
本堂の弥勒菩薩様のお参り前に、蝋燭、線香を灯していると、丁度、朝のお勤めが終わったご住職が、一度隣のご自宅に戻られるので、ご朱印等は大丈夫ですかと声を掛けて下さいました。
写真の様に、慈尊院の絵馬は乳房形です。
安産祈願、そして最近は乳ガン平癒の祈願の方々が来られています。
弘法大師の像、案内犬ゴンの像にご挨拶。
ゴンは、昭和60年代に、慈尊院近くに住み着いた野良犬でしたが、誰が教えた訳でもないのですが、高野山への参拝者の道案内をする様になったそうです。

慈尊院のお参りを終え、119段の階段を登り、丹生官省符神社へ。

こちらでも、道中の安全を祈願しました。
そして、神社の右に進み、いよいよ高野山を目指し、町石道がスタートです。
続く