前の記事に少し書いたが、実家の母が車で事故を起こした。
1ヶ月ほど前、2月13日のことだ。
幸い身体は大丈夫だったが、車は廃車になった。
母の不注意と言わざるを得ない事故だった。

80を超える高齢なので、これを機に運転をやめようと持ち掛けた。車がなくては暮らして行けない田舎なので、僕の住むマンションに呼び寄せて、一緒に暮らそうと思っている。

しかし、言うは簡単だが、それ程、手軽ではない。

母は、実家の近くに友達が大勢いる。
かつて勤めていた会社から、いまだに内職の仕事をもらい、ちょっとした収入を得ている。友達も内職も、母の生き甲斐だ。

年齢は、今年85だが、裸眼視力1.0以上で、なんと、近眼も老眼もない。僕よりずっと目がいいのだ。少し前に、80歳を過ぎても歯が全て揃っているとして、市から表彰も受けた。

10年ほど前に乳がんの手術を受けているし、膝も少し悪いが、まず、カクシャクとしていると言ってよい。車を乗り回して結構な遠出もするし、一人で元気に暮らして来たのだ。
運転を辞めるのは、元気な本人にしてみれば、受け入れ難いことだろう。

何より、母の住む実家と僕の住むマンションは、80km程離れていて、県の両端に当たる程遠い。このマンションに住むことにしたら、友達も内職も一区切りにせざるを得ない。

しばらくの間、あれこれ考えた。

高齢者が引っ越しで、環境が変わったために認知症発症という話もよく聞く。

かと言って、車を運転して、一人暮らしをしていくのはさすがにそろそろ限界で、いま手を打たなければ、数年後にはより深刻な状況になるだろう。そうなってからでは遅い。

元気なうちに住み替えておけば、少しは、環境に慣れてくれるかもしれない。それに、本当に介護が必要になった時に、そのまま自宅で世話をすることができる。

娘の世話で家を空けられない僕にとっても、母の同居は、助かる点も多い。

おそらく人生の最後の時期になるだろう、母とともに暮らすのも良いのではないか。

一方で不安もある。

軌道に乗っていた、娘との二人暮らしのバランスが崩れないか。3人で暮らすのは、二人とはまた違った煩わしさもあるだろう。

あれこれ考えたが、他に方法がない。
母に言った。

「友達も大切だけど、最後は身内だよ。」

母は、一応納得してくれたようだ。
本当にいいの?と、くどいほど聞かれた。

正直、上手く行くか分からないが、今週末から、試しに母を呼び寄せて同居してみようと思っている。

…長くなったが、以上が前置きで、この記事の本論はここからである。母を迎えるためには多量にある蔵書を何とかしなければならない。

これがマンションの本棚で、



これが実家の本棚だ。



前後にビッチリと詰められているので、表面積の2倍の量はある。

実家の方の写真は、2年ほど前に写したもので、このあとだいぶ減らしてきてはいるが、それでも総量は計り知れない。

僕と亡くなった妻は、ともに漫画同人誌を作ってコミケで頒布するオタクであった。こういったヲタ人種に、もれなく付いて回るのが、捨てられない蔵書問題である。

母を呼ぶということは、実家が空き家になるということで、これまで、解決を保留してきた蔵書問題をいよいよ何とかしなければならない。

僕の本と妻の本が混在するカオスの本棚。
古くは、小学生の頃に買った本も混ざっている。

モラトリアムは終わりだ。
もうこうなったら、全部手放す。
全部は無理でも9割は手放す。

先週、先々週と、マンションにあった本を段ボール15箱ずつ、2回に分けて、計30箱ほどブックオフに売ってみた。

一回目。
1円以上の値がついた本は、わずか366冊、5532円。
まあこんなものか。

2回目。
245冊、6140円。

大半は1円にもならなかったということだ。
すごいのは、この値付けをわずか1時間ほどでこなす、ブックオフのスタッフさんである。

2週間で片付いたのが、本棚一本ちょっと。まだまだ序盤だ。

本を片付けていると、妻との想い出が蘇る。
手放したくないものも多い。
しかし、一番大事な妻本人が、もう遠くに行ってしまったのだ。

母との同居は、僕の人生にとっても、新たなフェーズを迎えることに繋がるのかも知れない。などとあれこれ思ったりする。