3月1日の水曜日、右眼に違和感があって眼科を受診したところ「硝子体出血」と告げられた。

幸い、深刻な状態ではないと思うが、記録のために書きとめておこうと思う。


その日、いつも通り朝5時に起きて、食事の支度をした。
6時少し前になったところで娘を起こし、朝食を取らせ、身支度をさせた。それから家を出る前の間に、公文の英語を一緒に勉強した。いずれも毎日の日課だ。

公文は、宿題のプリントを1日5枚ずつこなすのだが、こなした分、次へ次へと課題が進んで行くので、特に英語は、横に付いて教えないと少々難しいくらいになっている。最近の内容は、助動詞、不定詞、動名詞といったところだ。

そのプリントを見ながら、なんやかやと説明していたとき、右眼の視界にアメーバのような、透明で不規則な形のものが映った。

まつ毛か、まぶたにゴミでも付いたか、メガネが汚れたかと思ったがいずれも違う。メガネを拭き、顔や目を洗っても変わらない。

そうこうしているうちに家を出る時刻になり、娘と一緒に玄関を出た。

朝の日差しの中に立って愕然とした。
部屋の中では気付かなかったが、右眼の視野全体を夾雑物が覆っている。炭酸水の気泡のような泡が全体に散乱している感じだ。

気泡は、透明な物と黒い点のようなものが混在していて、遠くに見えるものと、近くに見えるものが、重なるように見えている。気泡と点のせいで視野全体が濁って見える。

気泡や点とは別に、最初から気になっていたアメーバがとにかく目立つ。そのアメーバは、右眼で見て、左下の端、つまり自分の鼻が見えるあたりにあって、大きさも鼻先と同じくらいだ。

痛みはない。
視界は濁っているが、目が見えないわけでもない。
ひどく汚れたメガネを通して見ているような感じだ。

しかしメガネと違い、アメーバや気泡やらが、眼球の動きに追従してフワフワと動くので何とも気持ち悪い。

マンションの廊下を通り過ぎて、エレベーターに乗り込むと、アメーバ以外の気泡や点は、ほとんど気にならなくなった。周りが明るく、空や雲をバックにしたときが最もひどく見えるらしい。エレベーターの中は少し暗いから良いのだろう。

娘には言わなかった。
マンションを出て、「行ってらっしゃい」と言って娘と別れ、自転車で駅に向かった。

しかし30分後、職場に着いて仕事の打ち合わせなどをしているうちに、これはまずいのではないかと焦りが湧いた。

アメーバの色や形が変化している。
透明であったものが、ワカメのような緑色になって、長さも伸びたようだ。

何事が起こっているのか。
昨日までは、何ら異常はなかったのに。

とはいえ、軽い飛蚊症は、10年以上前からあった。
視界の中に一、ニ点、まさに蚊のような黒い物があって、取ることができない。

亡くなった妻も飛蚊症を持っていて、「これが取れるならお金をいくらかけてもいい!」などと、金もないのに言っていたものだ。

しかし今回のは、その飛蚊症の、優に100倍はあり、しかも短時間で刻々と見え方が変わっている。

網膜剥離の前兆では、などと恐ろしくなり、やむを得ず仕事を引けて、自宅近くのかかりつけの眼科で診察を受けることにした。

待合で普通に数十分は待たされた。
その間、目を閉じて、休めていたほうがいいのだろうか?
そう思って目を閉じるが、別段何も変わらない。
視界が気になって目を開ける。
また閉じて休める。
それを繰り返しているうちに名前を呼ばれ、散瞳をして、眼底写真の撮影などなどを行った。


写真中央、上から下に映っているのが、出血して流れた血液らしい。反転しているが、視界に見えた、アメーバ改め、緑色のワカメに形が似ている。

出血が多い場合には、レーザーで凝固させるなどの処置を行うそうだが、そこまでの様子でもなく、止血剤を処方してくださるのみとなった。

高血圧ではあるが、糖尿病ではないところから、原因は様々考えられるが、まずは加齢でしょうと、先生は仰った。年齢とともにコラーゲンが減って、組織が縮んできて、その際に毛細血管を引っ掛けるんだとか。

運動をすると出血がひどくなる恐れがあると注意された。

朝、刻々と様子が変わったのは、出勤して、歩いたせいかもしれない。当面、止血剤を飲みながら様子を見て、一週間後に再診となった。

あれから間もなく一週間になる。

緑色のワカメは、翌日の朝にはなくなった。驚くほどの変化だ。しかし代わりに、視野のど真ん中に、墨汁を水に溶かしたようなフワッとした広がりが現れた。

打撲の跡の血液が、周囲に拡がりながら薄くなって行くような感じか。

良くなっているのかも知れないが、見づらさはむしろワカメ以上で、前髪が常に目にかかっているように邪魔になる。

気泡と点は、わずかに薄くなった気がするが、相変わらず視野全体を濁している。この先もう少し改善するのかどうかだ。

この件があって、少し心が弱った。

もし手術などがあって、入院にでもなれば、その日から娘の世話に困る。娘は毎日、学校が終わると4時頃には家に帰って、一人で留守番している。

僕が6時過ぎに帰らなければ、娘は一人ぼっちになってしまう。1日たりと、気軽に家を空けられないのだ。

さらに実は、約一ヶ月前に大きな事件があった。

実家の母が車で事故をしたのだ。
相手のある事故で、幸い人身にはならなかったようだが、車は廃車。出会い頭の衝突で、割合的に母の方が悪い。

母は元気だが、さすがに高齢で、これを機会に運転をやめさせようと話していた矢先のことだった。

車がなくては暮らして行けない田舎なので、僕の住むマンションに呼び寄せて、一緒に暮らすことを本格的に話していたところだ。

逆に、母を早く呼び寄せた方が良いかもしれない。
シングルファザーで、娘との二人暮らしに慣れたところではあるが、変化点を迎えているのかも知れない。

今週末くらいから、母を試しに家に呼ぼうかと話している。

しかし、硝子体出血はもう御免だ。