年末のこと。
娘と義母と僕の3人で、外食に出掛けた。
隣のテーブルには、70代くらいの夫婦が座っていた。
そのご婦人が、
「これ、あげちゃいます。」
と言って、娘に何かを差し出してきた。
このような紙で、開いてみると金色だった。
「なんでしょうか、これは?」
尋ねてみると、その婦人は、
「これは特別の紙でとても縁起がいいのよ。
それにこの大きいのは…」
と言って、写真のものより三回りか四回り大きな紙を、何やら折り曲げたものを取り出した。
折り紙作品と思われたが、何を模して折ったのか分からない。少なくとも「鶴」ではないし、かと言って「紙飛行機」でも、もちろんない。
強いて言えば、「扇」が一番近いように思えたので、以下、便宜上「扇」と呼ぶ。
婦人は、僕らが食べている昼食の丼の間近に、便宜上の「扇」を置いて、
「自立します。」
と言って手を離した。
途端に、便宜上の「扇」は、倒れそうになった。
婦人は、倒れ落ちる前に、便宜上の「扇」を助け起こし、下側部分をギュウギュウと折り直して自立させようとした。
しかし、傍目にも無理であることが明らかだった。重心が高く、下側を折り直すくらいではとても自立しそうに思えないのだ。
折り直し、静かに手を離そうとして、倒れかかり、また折り直して手を離す動作を、幾度か繰り返したあと、娘に渡した小さい方の紙を指差し、婦人は言った。
「それはまだ折りかけですけど、しっかり折れば、こんな風にすることもできます。」
娘が受け取った紙は、婦人が自立させようとしている便宜上の扇より、明らかに小さく、とても同じ物を折れるようなサイズではない。というか、明らかに端切れだ。
同じ物は作れないし、同じ物を作っても自立は望めない。
どうしていいか分からない。
婦人は、便宜上の「扇」をバッグにしまい、娘に端切れを託して、自分の席に戻られた。
婦人のご主人が、渋い顔をして、何やら婦人をたしなめているのが横目に見えた。
食べかけだった蕎麦を、僕らは黙々と食べた。
その間、娘が、もらった端切れについて、嬉しいとも、いらないとも、何コレとも、一言も言わなかったのが立派であったと思う。食べ終わって、婦人に会釈をして、店を出た。
帰ってから、赤、金、折り紙などの語句で、ネット検索してみた。
これが近いだろうか。
金箔らしい。確かに高級な折り紙と思える。縁起が良いのも分かる。
しかし、もらったこの端切れをどうしていいのか分からない。捨てることは、はばかられるし、折り進める技量もない。
この紙を、何かに完成させることは出来そうもないが、ブログの記事を一つ仕上げる材料には、なるのではないか。
思い立ってしたためたのが、この記事である。
赤と金が新年らしく、縁起のよい記事として読んでいただければ、幸いである。