先々月末の10月29日、娘と一緒に漢字検定を受検した。


娘は7級、僕は準2級。

受検会場は、娘の通う公文教室だった。


いつもの教室で受けられてお手軽だし、親子受検もいいですよと公文の先生に勧められ、その気になった。


7級は、小学4年生修了程度。

準2級は、高校在学程度らしい。

娘は年齢、学年相応だが、僕は50代にして高校在学程度とはどうかという感じではある。


しかし、学力は学生時代をピークにして曲がり角を向え、その後年々下り坂であるはずで、50代でも高校在学程度の肌年齢であれば自慢になる。学力と肌年齢は異なるかも知れないが、準2級、敵として十分と考えた。


率直に言えば、その上の2級、「高校卒業・大学・一般程度」を合格できるか、不安だったからである。


親子受検はいいが、自分だけが不合格になって、娘に慰められる事態は避けたい。思案の末の選択だ。


娘も僕も、隙間時間にスマホアプリでドリルをやり、週末に1回、一緒に模試を行う方法で、1ヶ月ほど勉強した。


模試を自己採点する限りでは、娘も僕も大体、合格ラインに入りそうに思えた。

しかし、それぞれ、まるで歯が立たない分野があった。


僕が苦心したのは「部首」だ。


例えば「亜」の部首は、「二」なのだそうだ。

部首の名前は「に」。「にへん」とか何とかでなく、「に」。そんな部首があることすら知らないし、知らないのだから解けるはずもない。


他にも

「喪」の部首は、「口」。(口、2つあると思うが)

「甚」の部首は、「甘」。(横棒一本、少ない)

「升」の部首は、「十」。(もはやパズル)

「缶」の部首は、「缶」。(部首の意味がない)

「丙」の部首は、「一」。(逆の意味で部首の意味がない)

「弔」の部首は、「弓」。(あと一本だろう)


法則性がまるでなく、ひとつひとつ暗記する以外に手立てがない。


娘は、「音・訓読み」の区別に苦心した。

見分け方を教えて欲しいと言われたので、


『カンとか、グンとか、ブンとか、ニンとか、ジンとか、「ン」がつくような、なんかカッコいのが「音」で、「すくない」とか、「みとめる」とか、送り仮名が付くのが「訓」だね。』


と教えた。しかし、結構例外がある。


『「末」のスエは、カッコいいし、送り仮名も付かないけど訓読みだよ』


『「信」は、シンジルで、送り仮名が付くけど、「シン」が音だって』


確かに言われてみれば、そのとおりだ。

大人なら、漢語の語感というものが何となくニュアンスで分かるが、説明できるほどの法則性はない。

終いには、ゴチャゴチャ言わずに暗記しろ!となった。


意味のある、興味深い内容を学ぶことだけが勉強ではない。


一見、無意味に思える暗記だが、それを課題としてクリアすることに意味がある。勉強の仕方そのものを学べるからだ。

今回の試験ではそこを学んで欲しい。


不合格になったとしても、それは結果ではなく、次回に向けての途中経過と考えればよい。


色々と御託を並べて勉強させた結果、こうなった。



娘、音訓読み、全問正解。


自分、部首問題、3割不正解。

結果として、試験には二人共合格した。


しかし、合否が全てでないなどと偉そうに説いたことが、ブーメランになって返ってきた感じではある。

音訓、できたね、部首、やっぱりダメだったね、という話になり、

「パパの勉強の仕方が悪かった」

とやむを得ず認めた。

2級までは、公文教室で受検可能なのだそうだ。今回の結果を、結果でなく途中経過と捉え、次回に向かいたいところである。