昨晩、娘と二人で月食を見て、赤い月に興奮した。

一日過ぎ、ついさっき家事をしながら窓の外を見て、全く普通の月の姿に何だか寂しくなった。

ベランダに出て眺めると、月は、昨晩から少し欠けてしまい、もう満月ではなかった。今夜、間違っても月食は起きない。当たり前なのだが。

興奮が冷めて、平常に戻るときがとても寂しい。

それは、今の日常を直視したくないからなのだと思う。

この先も一人で娘を育てて行けるのだろうか。
娘との関係は、思春期を迎えた後、どうなるのだろうか。
娘が自分から離れて行ったとき、孤独に耐えられるのか。
数年後、職場を定年退職したとき、何かの張りは残るのだろうか。
その後の一人の時間、余りの人生。
それまでの時間、人生の処分の仕方。

妻がいつもそばにいた頃は、気持ちが落ち込んでも、少し話せばすぐに楽しさを取り戻せた。

20年弱続いた、その時期は終わった。

楽しい時間を過ごしているときは良いが、それが終わるときに、揺り返しのように寂しさが襲ってくる。

月食のような小さな興奮のあとも寂しくなるし、大きな仕事が終わって緊張が解けたときにも同じような感覚が襲う。

日々の節目、句読点のタイミングで、という感じか。
一体、このままやっていけるのかどうなのか。

そんな感覚にとらわれることがなかった時期が懐かしい。
残りの人生が、のしかかかる。

普段、決められたレールから一歩も離れない月が、月食の夜だけは自由になって、レールから解放されているようで、ちょっとした痛快感があった。

ちょっと何書いてるのか分からなくなってきたので、終わる。