2020年9月26日、ALSを患った妻が他界した。

昨日、命日より少し早いが、三回忌の法要を終えた。


礼服を片付け、終わった、終わったと、解放感を感じながら、娘とゲームをして過ごしたのだが。


どういうものだろう、さっき午前4時半過ぎに目が覚めたら、寂しさと不安がどっと襲って来て、自分を保っていられないような気分になった。何とか気持ちを沈めるために、今、文を打っている。


妻の他界から2年が過ぎてしまった。

妻が生きていた日々は、遠い過去になりつつある。


「妻を失って間がないんです。」


妻の他界は、昨日のことのように身近で、そう思うことに疑問も持たず、口に出して言うこともあった。

しかし自分は、妻を失って間もない夫ですらなくなってしまった。


他人からはやがて、独りになって長いですねと言われるようになるのだろう。


長い独り。


何か頼るところのない広場の中心に放り出されたような気分だ。

娘を育てていく不安。

これからまだまだ、でなく、この先にこそ自信を持てない。


妻を失ったとき、育児を一人でしていかねばならない心細さに、どうにかなりそうな程の恐怖を感じた。


否定しても仕方のない現実だし、逃げることも出来ない。

大変ですねと、多くの人が声を掛けてくれるが、誰も代わってはくれない。


いつまでで終わりになるのかも分からない。

妻と娘と3人の生活は、幸福な未来であったのに、一人減っただけで耐え難い不安に変貌してしまった。


しかし、日々に埋もれて、やがて何となく平常心に戻っていった。


今朝目が覚めたら、あの時と同じ、どうにもならない恐怖が襲ってきた。


自分はいつまで生きられるのだろう。

自分が死んだあと、両親を失った娘は、どう思うのだろう。

娘が将来持つかも知れない不安が、恐怖の重みに加わる。


妻と初めて会った日。

同居することにした、最初の日。

結婚式の前日。

話したこと、出掛けたこと。

幸福が失われ、二人で共有した経験も失われてしまった。


妻が今も生きていてくれたら、日々は、どんなに違っていただろう。


三回忌までと期限を決め、悲しさ、寂しさ、不安を小さく区切ることで、質量を小さく見せるように錯覚させていたのだが、本当は永遠の未来まで続く無限の質量だった。


ここまで書く間に、不安を壺に入れて蓋をする作業がかなり終わったように思うが、時々その蓋を開いては、中身の質量に圧倒されるのだろう。


近づく台風で、雨と風の音が激しい。