娘の夏休みが終わった。


学童保育の利用を辞め、ひとりの留守番で過ごさせた、初の長期休みだ。


昼ご飯は、写真のような弁当を毎日用意した。おかずは冷凍食品メイン、味噌汁はインスタントに豆腐を足しただけのものだ。


昼になったら、ジャーからご飯をよそって、味噌汁にお湯を注いで食べるように教えた。


昨年、学童保育に持たせた弁当は、もう少し頑張った気がするが、人目がないとつい手を抜いてしまう。


それでも、仕事を終えて帰宅すると、残した様子もなく、洗った弁当箱がキッチンに置かれていたので、なんとか食べてくれたようだ。


毎日の似たようなおかずに文句を言うでもなく、よく耐えた娘、と讃えたい。



長丁場の休みで大変だったのは、やはり宿題だ。


留守番中、時間があるのだから、ひとりでやっておきなさいと言いたいところだが、そうもいかないものがある。


例えばこれ。



「にじみ絵」と「回すと模様が見えてくるふしぎなコマ」。

夏休みの日誌に、こういう課題が、数日に一回は織り交ぜられているのだ。


勉強なのかなんなのか分からない。
どうせヒマだろうから、やっておきなさいというこの感じ。
一言で言えば、無用感。
昭和世代の自分の頃と変わらない、これこそ「夏休みの日誌」だろう。

こういうものを誰も見ていない中で、黙々と一人で描いたり作ったりするのは張り合いがなく、酷だ。せめて親子でワイワイやった方がマシだろう。

計算や書き取りなど普通の問題は、一人でやっておかせ、面倒な課題は、土日に娘とふたりでやることにした。
上の2作を作ったのが7月23日、土曜日だ。

翌日の7月24日、日曜日は、「生きもののようす」を片付けた。身の回りの植物と動物を、ひとつずつ観察して記録を書けというものだ。


近所の公園でシロツメクサを観察したのだが、最初娘は、不満気だった。

「シロツメクサなんかでいいのかなあ?」

僕は答えた。
「変わったものを観察する必要などない。当たり前のものをよく観察することの方がむしろ大事だ。」

その場で思い付いた適当な理屈である。

そもそも、わが家は、庭木や花壇があるでもなく、ペットも飼っていない。こんな課題を押し付けるのは酷なのだ。

その代わり、絵の方は手ほどきして、書き方も塗り方も丁寧にさせた。

「それらしくなったでしょ?」
「うん!」

しかし、問題は動物だ。
アリなど、普通の生きものでいいと思うが、ここは手を抜かずに、興味をそそるものを探そう。

子供の頃を思い出して公園に行った。
案の定、桜の木の下にセミの幼虫が抜け出した穴がたくさん見つかった。


こういう穴がたくさんあるところは狙い目で、夕方頃に見張っていると幼虫が出て来るところを見られるかも知れないよと教えた。

運良くその日の午後6時頃、木を登っていく幼虫を見つけることが出来た。


登り切った先で幼虫が羽化を始める様子を見守った。
幸い家の目の前の公園なので、自宅に帰って食事や入浴を済ませ、時間をおいて何度も観察に行った。


夜、11時頃までかかってしまったが、羽化したところをみることができた。僕もここまでしっかり観察したのは初めてで、この年齢でも心が躍った。


その数日後、記録を書いた。今度はさほど手ほどきせず、好きなように書かせてみた。


絵がそれなりだ。明らかにシロツメクサの方がよく描けている。やはり題材の良し悪しではなく、観察、記録することこそ大事であると娘に話したが、

「セミの方が面白かった!」

と返された。まぁそりゃ、そうか。


次の土曜日、7月30日。
いよいよ自由研究をすることにした。

テーマは、信号の待ち時間。

娘と話し合って、赤信号と青信号の時間は同じなのか、広い道と狭い道では異なるのかなどを調べることにした。

ストップウォッチで計測し、記録を取って、学校で貸し出されたパソコンでまとめた。

しかし、信号の待ち時間と簡単に言ったものの、実際に測ってみると案外難しかった。

信号の種類は赤、青、黄だけでなく矢印があるので、青、黄、赤・矢印、黄色、赤の順に計測しなければならないし、次々と変わる信号を、正確にストップウォッチで追いかけるのは至難の業だ。さらにおそらく、交通量に連動して、時間が少しずつ変わるのだ。

東西と南北で比較し、4つの交差点で測ってみると、思った以上に時間がかかった。やってみないと分からないことだろう。


次に、7月31日〜8月3日は、読書感想文を書いた。
学校の課題説明に、原稿用紙3枚で、しかも最後の3行しか残してはならないと書かれており、意味不明の厳しい条件だ。

これも付き合うしかないかと思い、僕も課題図書を読んでみた。さすが良書だった。



8月5日〜6日、娘とふたりで東京旅行。
予約していた、カービィカフェ TOKYOで食事し、翌日は浅草で人力車に乗った。

夏休みの宿題を前半に集中的に片付けたのは、このためである。





8月中旬。
大きな宿題はほぼ終わった。あとは、人力車に乗ったところを想い出の絵にまとめるくらいだ。夏休み後半は余裕だなと思ったが、もうひとつ面倒なものがあった。

「星の観察」である。

2時間、間を空けて星座を観察し、地球の自転によって星が動くのを記録せよというものなのだが、この8月は梅雨時のようにほぼ毎日が雨で、星の見える日がなかった。

さらに難しかったのは、明るい星のほとんどが天頂近くにあったことだ。

デネブ、アルタイル、ベガの大三角形は、空を真上に見上げた位置にあり、周りに建物など何もなく、動く様子を記録しようにも比較対象がない。

さらに娘が、

「『夏の大三角形』は、『星座』じゃないと思う」

と不安を訴えた。
確かに、はくちょう座、わし座、こと座の3つの星を結ぶのが大三角形だ。星座とは、はくちょう座、わし座、こと座のことであり、大三角形は星座ではないのかも知れない。

「じゃあやっぱり、さそり座だね」

そのさそり座が、曇りで連日全く見えなかったのだ。
加えて空の低い位置は、街明かりで星が見えづらい。
子供の頃に見たイメージのさそり座は、全く見当たらなかった。もう無理かと思った8月28日、ようやく雲が切れ、観察が出来た。

と言ってもこれくらいである。


写真真ん中よりわずか右上にホコリのように映っているのが、さそり座のアンタレスだ。さらに、その気になって写真を拡大すると、もういくつか、さそり座を構成する星が見える。


2時間後少し右下にアンタレスが動いた。


2枚の写真をパソコンで重ねて、何とか見える星を線で繋いでみた。


長い夏休み、面倒な宿題群のようやくの完成である。
来年は、一人で片付けるようになってくれるのかどうか。

それでも今朝、弁当作りから解放されたのは感慨ひとしおだった。