「雨が見えなくなった」
1年程前、娘がそんなことを言った。
教室から校庭を見たとき、しとしとと降る細い雨が見えなかったらしい。友達には見えていたのに、と言った。
小雨の雨粒は糸のように細く、確かに目が良くないと見えないかもしれない。
娘には逆まつげがあって、定期的に眼科に通っていたので、数日後に視力測定をお願いした。結果、以前よりかなり視力が落ちていることが分かった。コロナ禍の家ごもりで視力が落ちる子供が増えているらしい。娘もその類いか。
散瞳作用のある目薬を処方され、就寝前にそれをさして、眼の緊張を和らげ、視力回復を図るという治療法を試した。数ヶ月ほど続けたが、視力は上がったり下がったりで、目覚ましい効果はなかった。
先週の測定結果は、左右の視力が0.4と0.8だった。左右差があると負担も大きいし、そろそろ考え時ですねと言われた。
学校で黒板が見づらいのも良くない。これまで先延ばしにしてきたが、いよいよ眼鏡を作ることにした。
娘は最初、眼鏡と聞いて何だかコワイとか、緊張するなどと言っていたが、いざ眼鏡店に連れて行き、フレームを選ばせると、すっかり楽しくなった様子だった。
注文して数日後に受け取りに行くことが決まり、前日の夜になると、「眠れないほど楽しみ」とまで言い出す始末だった。
僕も物を買うとき同じように思うことがある。注文するまではそれ程でもなかったのに、いざ注文すると一刻も早く手にしたい。そんなに欲しいなら、もっと早く注文すれば良かったのにと思うが、あの心理はどういうものなのか。
娘に「もともと眼鏡欲しがってたんだっけ?」と聞いてみたら、「欲しかったことを最近知った!」という答えだった。
なるほどだ。
そうして先週土曜日の午後に眼鏡を受け取り、まさに満面の笑みの娘は、僕に尋ねてきた。
「眼鏡ってどれくらいで慣れるの?」
「一日も経てば、すぐ慣れるよ」
「うそ!一ヶ月くらいかかると思った!」
「パパが最初に眼鏡はめたときも、一日で慣れたよ。」
「ほんとに一日なの?」
「考えてみなよ、慣れるのに一ヶ月もかかるような難しいものだったら、初日なんてはめることすらできないって。」
「そっか!」
本当に一日で慣れたのか、実は全く覚えていないが、気楽にさせるべきと思い、適当に答えた。
翌日日曜日は、雨に降り込められたため、二人で一日、室内でゲームをして過ごした。朝から眼鏡をしていた娘は、夕方頃に言った。
「眼鏡、慣れてきた」
「でしょ、これでもう月曜から学校ではめられるよ」
そして、火曜日の夕方。
「眼鏡はめてるの忘れて、眼鏡の上から顔を搔いちゃった。指紋がついたよ。」
「ほらやっぱり慣れた」
そのような感じであった。
娘は、眼鏡をはめたことで視界が一気にクリアになったことや、友達の反応について嬉しそうに話してくれた。また、指紋で汚れても、授業中は拭いちゃいけないと思い、休み時間まで待ったなどとも言っていた。
未体験の領域に踏み込んで、目新しさを感じ、気持ちが躍る様子が伝わって来る。眼鏡ひとつでワクワクできる、その瑞々しさが少し羨ましく思えた。子供の特権だ。
「これで3人とも眼鏡になったね」
娘が言った。
「3人て?」
「ママも眼鏡だったから!」
そうだねと言って、3人の眼鏡を並べて写真を撮った。
亡くなった妻が、眼のことで長く悩んでいたことを想い出す。
妻は強度近視だった。眼鏡では度が出ないからと言って、コンタクトレンズを愛用していた。
娘を出産して間もない頃に、その妻が眼の不調を訴えた。
「電車待ちでホームに立っていたら、線路が曲がって見えた」
大きな病院で精密検査を受けたところ、脈絡膜新生血管の発生と言われた。初耳だったが、加齢黄斑変性にも関わる、深刻な症状だった。
娘が産まれた喜びが冷めやらぬ時期だったが、急転直下、二人でガックリ沈み込んだ覚えがある。
その後、数年に亘って経過観察をし、加えて緑内障、白内障の診断を受けるなど、妻の眼の悩みは尽きなかった。
そしてその後、それらを吹き飛ばす程の難病、ALSの診断があった。
妻は、ALSの進行とともにコンタクトレンズを着けられなくなり、牛乳瓶の底のように厚い眼鏡を作らざるを得なくなった。その眼鏡で、妻は、終日アニメを観て過ごしていた。
妻が亡くなる直前に入院した時のこと。救急搬送だったため、眼鏡を忘れて病院に入った。僕は、すぐに自宅から病院へ眼鏡を持っていったのだが、妻が二度と眼鏡をかけることはなかった。
24時間、呼吸器のマスクを装着したままになったため、眼鏡をかけることができなかったのだ。
今回、娘を連れて眼鏡店に行ったのは、妻のあの、牛乳瓶の底の眼鏡を作りに行って以来のことだった。
妻を車椅子に乗せて眼鏡店に連れて入ろうとしたら、にわかに豪雨が降って驚いた覚えがある。
僕も妻ほどではないが視力は低い。
が、あの日の雨は普通に見えていたし、忘れられないと思う。