少し遅れたが、先週末のことを書く。

10月8日、金曜日。娘の小学校の運動会に、彼女と2人で応援に出掛けた。コロナ禍でプログラムも短かったが、人も少なく、のんびり観覧出来た。

10月9日、土曜日。娘の誕生祝いをした。本当は13日が誕生日なのだが、休日に前祝いした形だ。やはり彼女と3人で、しゃぶしゃぶを食べに行った。

10月10日、日曜日。同じく3人で、岐阜に栗きんとんを食べに行った。恵那川上屋だ。

それぞれ詳しく書きたいところだが、長くなるので写真を中心に簡単に補足する。


一枚目は、しゃぶしゃぶ店で出されたメッセージカードにあれこれ書きこんだもの。絵は僕。字は、彼女+娘による。


二枚目は袋入りの娘。誕生日プレゼントを渡したところ、ラッピングの袋が大きかったので、入ってみたいと言い出した。やってみたら本当に出来たというもの。

しかし何というか、虐待現場の証拠写真のように見えなくもない。スタンプで隠した表情は、泣き顔でなく満面の笑顔であるので、誤解されませんようにと補足しておく。


三枚目は、栗きんとんで有名な、恵那川上屋のカフェにて。
皿盛りされたのは「味くらべ」、下に2つ並んでいるのは「栗一筋」というメニューだ。

特に「栗一筋」は絶品と思う。見た目からモンブランケーキを想像するが、有名な栗きんとんそのままの絶妙で程よい甘さになっており、糸のような細さが独特の食感である。

「栗一筋」という名前は、糸のような一筋の栗という意味なのか、他のものに目もくれず、私は一生栗一筋であるという意味なのか、僕は知らない。が、これを食べている瞬間は、一生栗一筋で良いのではないかと思わされる程の美味である。しかし何日か経つと、さすがに一生栗一筋は厳しいかもしれないと思い直し、おそらく糸の細さを表した名前なのだろうなと思うことにした。

ちなみにこのカフェでは、LINEを使用した受付システムが導入されており、受付した後は、並ばずに、その場を離れて時間を潰すことができた。僕の場合は、69組、138分待ちだった。人気店なのである。

最近のことをあれこれと書いたが、ここから一転して、モヤモヤと暗い話になる。長いので、以下スルーしていただくことをお勧めする。

夏の終わりから、10月までのこの時期は、僕にとって特別な期間になってしまった。2018年のこの頃に、妻がALSと診断されたからだ。

2018年8月24日、妻の誕生日。休みを取ってふたりで過ごしたが、妻がほとんど喋らず、嫌われたのかと思った。実はALSのせいで喋り辛くなっていたことが後で分かった。

同9月10日、妻を病院に連れて行き、それまで予想もしていなかったALSの疑いが浮上した。それから約40日後の10月19日に、妻はALSと診断された。

診断が下るまでの40日の絶望感は、言葉に表し難い。

その間に、やはり運動会と誕生日と栗きんとんの日があった。
10月2日が娘の幼稚園の運動会、10月13日は誕生日、9月24日に中津川市に栗きんとんを食べに行っている。

そしてこれは昨年のことだが、妻は9月26日に他界した。

「記念日」という言葉は、「終戦記念日」のような例もあるとおり、祝い事に限って使うものではないのだと思う。

思いを記した日、思いの残っている日を「記念日」と呼ぶならば、僕にとってこの時期は「記念日」の連続だ。言い換えれば気持ちを揺さぶられ続ける期間でもある。

栗きんとんの話しが幾度も出てきているが、詳しくは過去の記事に書いた。
 


2011年9月23日、妻と一緒に栗きんとんの食べ歩きをした。
その時の写真は今も残っており、僕にとっては大切な想い出だ。このわずか9年後に妻が他界するとは夢にも思わなかった。


長文になってしまったこの記事、言いたいことは何かと言うと「想い出とどう共存するか」についてだ。

2021年の今、最も新しい記憶であるはずの、昨年9月26日の妻他界のことは、実はさほど思い出されない。

2011年に栗きんとんを食べ歩いた日のことをより鮮明に思い出すし、2018年のALS診断直前の絶望感は、まるで昨日のことのように頭を一杯にする。

湧き上がる感情は、抑えたり制御できるものではない。

「まず、奥さんを亡くしたときの悲しみを思い出すべきでしょう!」と叱られるかも知れない。

しかし現実には、それよりも栗きんとんのことを思い出してしまうのだ。内容を選ぶことはできず、湧き出るものに蓋はできない。

悲しむべきポイントで悲しめなかったという話は、以前にも書いたと思う。

今思っても、妻がALSと診断される直前の40日間は、僕の半生における悲しみのピークだった。闘病と介護の末に妻が他界したときは、もちろん大きなショックはあったが、それよりずっと落ち着いた受け入れ方をしていたと思う。

それは、診断以後、2年かけて心の準備をしていた結果でもあるし、苦しい病気と果てしない進行への不安から、妻も僕もともに解放されたと思える安堵感があったことも関係している。

「そんな気持ちを持ってはけしからん!」と叱られるかも知れないが、何度も書いているとおり、湧き上がる感情は制御できない。

純粋無垢に、泣き、悲しみたいのはやまやまだが、打算、計算、未来の予測、それらも同時に考えてしまうのは止められるものではなく、結果として自分が悲しみたかったポイントでは思ったように悲しめなかったのだ。

ここが悲しむべきポイントだから、慟哭しようと理性で考えても仕方ない。制御できない感情を制御しようとしたら、それはもはや感情でなく演技だろう。

そんなことを思い出しながら考える。湧き上がる感情には、結局のところ身を任せるしか方法がないのではないか。悲しみも想い出も、湧き上がる間は、仕方ないのでそれに委ねるしかないし、止めることはできない。

止めることはできないが、24時間続くこともなく、必ず止まるときは来る。

そうしている間に、美味しいものが食べたくなって、食べて嬉しく思ってしまったりもするし、お笑い芸人に笑わされてしまったりもする。何を不謹慎な、今は悲しむ時だから食べたり笑ったりしてはまずいだろうと言われても困る。

想い出が湧き上がるのは止められないとして、日々の暮らしはどうすべきか。

娘の運動会も誕生日も、この時期必ず巡ってくる。そこに僕は彼女を招いており、そうすると僕も娘も最高に楽しい。

人によっては、奥さんとの思い出を上書きしていると取るかも知れないが、僕はそうは思わない。

悲しみの中でも、ご飯を食べるように、巡ってくるイベントを祝い、楽しむことは日々の生活で普通に行うことだし、あえて避けるものでもない。

妻との想い出に操を立てて、これからは栗きんとんは食べませんと言うつもりもない。想い出はもちろん湧き上がるが、日々の暮らしは、現実に巡ってくるし、それはどちらか一つを選択するような性質のものでもないと思う。

ここで悲しんだら、という場面で必ず悲しめるものではない。亡くなった妻のことだけを大切にすることもできない。一方に現実があるからだ。

それでもこの時期、本当に湧き上がる想い出に揺さぶられ続けている。彼女にも、亡くなった妻のことをしばしば話しており、その自覚もある。

想い出との共存は、逆らわずに身を委ね、大切にはするが、枷にはしないといったところでしか、折り合いのつけようがないように思える。

ずいぶん自分に都合のいい結論だが、違うと言われても、僕はそのようにしか振る舞えない。

栗一筋に生きようと思っても、ちょっと無理と思うのと、似ていなくもない。


栗一筋と栗きんとんを、今回3人で食べた時の写真で長文記事を終わる。